風日祈宮(かざひのみのみや)

伊勢神宮 皇大神宮(内宮)の別宮

所在地:伊勢市宇治館町   地図情報

祭神:級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)

社格式内社・皇大神宮別宮

旧称:風神社(ふうじんのやしろ)


 風日祈宮(かざひのみのみや)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の境内別宮

 神楽殿前から南方へ、風日祈宮御橋を渡った右手にある

 別宮とは正宮の「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされ、内宮の10の別宮の中では、倭姫宮の次に新しく、
第9位とされる

 外宮別宮の風宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命が祀られている
 かつては、現在の末社格の風神社であったが、元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格された

【風日祈宮の歴史・経緯】


【風日祈宮の祭神】

 <級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)>
 外宮別宮 風宮と同じ祭神
 風雨を司る神さん
 本来は、農耕に適した風雨をもたらす神さんであった

 鎌倉時代
 2度にわたる元寇襲来のときに、朝廷より二条為氏大納言が勅使として神宮に派遣され祈願されたところ、
 両社の社殿が鳴動して赤い雲が立ち上がり、西の方に駆け抜けて行き、
西の海に神風を起こして元兵を全滅させ国を守ったご神威によって、
それ以降は日本の国難に際して、神明のご加護によって国家の平安を護る神さんとされる

 明治時代以前は、航海の守護神としても崇敬を集めた

 幕末維新のときには、黒船を追い払う攘夷祈願も行われた

 元神宮祭主 北白川房子の御歌
 「ふく風は 身にすがすがし 風の宮 御世も御国も いや守りませ」

【風日祈宮の境内】

 <社殿>
 内宮に準じ、内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している

 <古殿地>
 遷宮のための敷地は東西に隣接している

 <風日祈宮御橋(かざひのみのみやばし)>
 神楽殿前から南方へ風日祈宮へ向かう参道にある
 長さ43.6m、幅4.6m
 内宮前の宇治橋を小さくしたような橋である
 南端の擬宝珠(ぎぼし)に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」と刻まれている
 1498年(皇紀2158)明応7年
 勧進聖(かんじんひじり)の神忠によってかけられたといわれる
 ここにかかる川が五十鈴川本流とされており「五十鈴川橋」と称された
 その後、最も長い川が河川の本流と定義され、五十鈴川支流の「島路川」と改称されてから
「風日祈宮橋」と称されるようになる

【風日祈宮の祭事】

 御衣祭(おんぞさい)以外、内宮正宮に準じた祭事が行なわれる

 祈年祭・月次祭・神嘗祭・新嘗祭には、皇室からの幣帛(へいはく)がある

 <風日祈祭(かざひのみさい)>
 5月14日と8月4日
 風雨の災害が無く、五穀の豊穣が祈願される

 「皇太神宮儀式帳(804年(皇紀1464)延暦23年)」によると、
 4月10日(現在の5月14日)に、農耕に都合のよい風雨をもたらす神として、風雨の平らかなることを祈願して
蓑や笠を奉納する神事が行われていた
 鎌倉時代の頃には、「御笠の神事(みかさのしんじ)」とも称された

 「皇太神宮儀式帳」には、
 7月・8月の2ヶ月間、風雨の安定と五穀の豊穣を朝夕日毎に祈願する「日祈内人(ひのみのうちんど)」が
行われていたことが記されている
 その後、7月4日(現在の8月4日)の1日のみ行われるようになる

 その後、御笠の神事と日祈内人の神事の年2回の神事を「風日祈祭」と称されるようになる

【風日祈宮へのアクセス】

 近鉄電車・JR東海 伊勢市駅からバス約20分 内宮前
 近鉄電車 宇治山田駅からバス約20分 内宮前

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