観阿弥(かんあみ)

南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師

生年:1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年
没年:1384年(皇紀2044)元中元年/至徳元年5月19日
享年:52

観世家の祖(初代 観世大夫)

本名:清次
時宗の法名:観阿弥陀仏
愛称:観世大夫、観阿弥、観阿

息子:世阿弥

出身:伊賀
墓地:真珠庵

 観阿弥(かんあみ)は、南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師

 大和猿楽に幽玄さを付け加え、息子の世阿弥とともにを大成した

【観阿弥の経緯】

【観阿弥の能】

 <猿楽中興の祖>
 室町時代初期には田楽が流行しており、農民層を相手に細々と興行していた猿楽を、表舞台の芸能に引き上げ、
芸術性を飛躍的に高めた
 現在のの礎を築いたといわれる

 <大和音曲>
 36歳のこの頃、猿楽に曲舞(くせまい)の節を取り入れ、大和音曲を創始する
 それまで、大和猿楽はメロディー主体の小謡節を特徴としており、あまり優美とはいえないものだったとされる
 拍子主体のリズミカルな曲舞の節を取り入れることで、大和猿楽は幽玄さを備えるようにもなり、大きな革新だったといわれる

 <観阿弥の事跡>
 世阿弥の伝書によると、
 「大柄であったが、女性を演じると優美であった」
 「大和猿楽伝来の鬼の能に優れていた」
 「武家にも民衆にも愛された」などと記されている

【観阿弥の代表作】

 観阿弥は、自ら新しい曲を多く作った

 <自然居士>
 <卒都婆小町>
 <百萬>
 <吉野静>
 <四位少将(通小町)>

【観阿弥ゆかりの地】

 <真珠庵
 観阿弥・世阿弥親子のお墓がある

 <新熊野神社
 1374年(皇紀2034)文中3年/応安7年5月9日
 新熊野神社で観阿弥父子の演能を室町第3代将軍 足利義満が見て認められ、愛顧を受けるようになった

 <醍醐寺
 1371年(皇紀2031)建徳2年/応安4年頃、自らの一座を率いて演能を行い、これにより京の都にも名声がおよぶようになった

 <新日吉神宮>  坂本の日吉猿楽から伝わったといわれる「翁」の曲を観阿弥が上演した地といわれる

 <浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)>
 病気により死去する直前の最後の舞台の地
 26世宗家観世清和による顕彰碑がある

【その他】

 <伝説>
 曾孫の観世小次郎信光の肖像に書かれた讃によると
 伊賀の服部氏一族の武士であった観阿弥の父親が、あるとき春日神社より「子を楽人として神に仕えさせよ」との神託を受け、
三男である観阿弥に結崎氏を名乗らせ、春日神社に捧げた、といわれる


【京都検定 第1回3級】

47.物まね主体の大衆能を、歌舞主体の幽玄能へ洗練し、能の芸術性を高めた観阿弥の子は誰か?

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第7回1級】

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