神明山古墳(しんめいやまこふん)は、京都府北部、京丹後市丹後町宮にある古墳
 丹後半島を貫いて流れる竹野川の河口付近にある
 古墳時代中期の4世紀末から5世紀初期頃の築造と推定される
 網野銚子山古墳(京丹後市網野町網野)・蛭子山古墳(与謝郡与謝野町加悦)と合わせて「日本海三大古墳」と総称される
 丹後半島を日本海に向かって流れる竹野川の河口付近にある
 古墳時代中期の4世紀末から5世紀初期頃の築造と推定される
 北東から延びた丘陵の先端部を切断して利用して築造され、
 広大な前方後円墳の前方部は、丘陵でその間を掘り切って墳形が造られた大型の円墳
 墳形:前方後円形
     前方部を北東方に向ける
 墳丘:3段築成
 墳丘長:190m
 網野銚子山古墳(201m)とともに日本海側では最大級の規模になる
 後円部直径:129m
    高さ:26m
 前方部  幅:78m
    高さ:15m
 墳丘表面:葺石、丹後型円筒埴輪・形象埴輪(家形・盾形・蓋形埴輪など)、石製模造品
 墳丘封土内より、弥生土器などが検出されている
 埴輪には、舟や人物の線刻が入った破片が見つかっている
 中央のくびれ部には、円形の造り出しがあり、墳丘全面を葺いたと思われる葺石・礫が数多くある
 埋葬施設:不明
       後円部中央に板石が散乱していた
 墳丘周囲:湿地があり、周濠があったと推定されている
 <国の史跡>
 1923年(皇紀2583)大正12年3月7日指定
 指定範囲は13,150m2
 <竹野神社>
 式内社
 神明山経塚出土銅鏡 2面(京丹後市指定有形文化財)
 (藤山吹双鳥鏡1面・網代垣山吹双鳥鏡1面)
 平安時代後期の作
 後世に、神明山古墳上で営まれた経塚(神明山経塚)から出土した
 竹野神社所蔵、京都府立丹後郷土資料館寄託
 神明山経塚出土経筒 4口(京丹後市指定有形文化財)
 平安時代後期の作
 後世に、神明山古墳上で営まれた経塚(神明山経塚)から出土した
 竹野神社所蔵、京都府立丹後郷土資料館寄託
 <京丹後市立 丹後古代の里資料館>
 京丹後市丹後町宮
 神明山古墳の出土埴輪などが展示されている
  神明山経塚出土藤山吹双鳥鏡
  網代垣山吹双鳥鏡
  神明山経塚出土経筒
 <丹後半島>
 宇川、竹野川が、丹後半島を北流して日本海に注いでいる
 川により、深い河谷ができ、川沿いに狭小な谷底平野がある
 半島北西部の日本海側には、銚子山古墳(網野町)や神明山古墳(丹後町)など大きな前方後円墳がある
 半島南東基部の岩滝町から宮津市にかけての一帯に、丹後国府が設置されていたといわれる