馬町空襲の地(うままち くうしゅうのち)は、太平洋戦争末期に、アメリカ軍爆撃機による空襲があった地区
東山区の馬町の京都市立東山総合支援学校の正門左脇に石碑「馬町空襲の地」が立てられている
<石碑「馬町空襲の地」>
馬町空襲を語り継ぐ会、修道自治連合会により石碑が立てられ、除幕式が行われている
十津川石の自然石、高さ1m
<副碑>
自然石、高さ60cm
馬町空襲で起きた事象が記されている
銘板「馬町空襲犠牲者名」には、亡くなられた41人の氏名・年齢が記されている
<京都空襲>
1945年(皇紀2605)昭和20年1月より
京都市内に少なくとも5回にわたってアメリカ軍爆撃機による空襲が行われた
・1月16日午後11時23分頃、馬町空襲(東山区馬町)
・3月19日午前7時30分頃、春日町空襲(右京区)
・4月16日正午頃、太秦空襲(右京区)
・5月11日午前10時頃、御所・河原町荒神口付近銃撃(上京区)
・6月26日早朝、西陣空襲(上京区出水)
その他、京都市内で空襲(銃撃)の被害があった
<地名「馬町」の由来>
渋谷街道の入口にあたる
輸送用の馬を繋いだ場所、馬市のあったところ、馬屋があったことに由来するといわれる