広岡浅子(ひろおかあさこ)(Asako Hirooka)

明治時代・大正時代の女性実業家・教育者・社会運動家

生年:1849年(皇紀2509)嘉永2年10月18日
没年:1919年(皇紀2579)大正8年1月14日
享年:71

父親:小石川三井家六代当主 三井高益
四女
幼名:照

夫:広岡信五郎(大坂の豪商 加島屋の第8代広岡久右衛門正饒の次男)

出身:京都市
お墓:中山寺(宝塚市)

 広岡浅子(ひろおかあさこ)は、明治時代・大正時代の女性実業家・教育者・社会運動家

 商家 小石川三井家に生まれ、大阪の豪商 加島屋に嫁ぐ
 炭鉱業や銀行業、生命保険業などを起業し、晩年は、日本女子大学校(現在の日本女子大学)の発起、キリスト教化に尽力する

 豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた

【広岡浅子の歴史・経緯】

【広岡浅子の家系】

 小石川三井家

 <父親 三井高益>
 小石川三井家 6代当主
 上京区大黒屋町に広大な屋敷を構えていた(現在、一部が、ホテルルビノ京都堀川になっている)
 正妻との間に三女一男があったがいずれも早世
 高喜を別の三井家(南家)から養子に取り、48歳のとき家督を譲った
 浅子は、50歳のときの娘で、正妻の子供ではなく、浅子が2歳のときに養女とする

 <義兄 三井高喜>
 小石川三井家 7代当主
 号は三郎助
 三井南家より、三井高益の養子となり、家督を継ぐ

 <異母姉 春>
 浅子より2歳上
 三井高益の正妻の子供ではなく、三井高喜の養女として三井家に入籍
 浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぐ

 <義甥 三井高景>
 三井高喜の長男
 幼名は弁蔵、号は三郎助
 浅子と1歳違いで、姉弟同然に育つ
 小石川家第8代当主となり、妻の寿天子とともに、浅子の学校設立を支援した


 広岡家

 <夫 広岡信五郎>
 第8代広岡久右衛門正饒の次男
 早くに分家の嫡男として養子に出る
 尼崎紡績(後のユニチカ)初代社長、大阪運河取締役
 浅子との間に一女、女中ムメとの間に三女一男が生まれる
 長男 松三郎は、大同生命保険4代目社長に就任する

 <長女 広岡亀子>
 浅子の一人娘

 <娘婿 広岡恵三>
 子爵 一柳末徳の次男
 東京帝大卒業後三井銀行を経て、加島屋経営に加わる
 加島銀行頭取、大同生命2代目社長、大阪電気軌道初代社長
 神戸市東灘区の私邸は、現在、甲南女子大学になっている

 <義弟 第9代広岡正秋>
 夫の弟、第9代広岡久右衛門正秋
 弟加島銀行初代頭取、大同生命初代社長

 <養女 貴登(きと)>
 三井北家(惣領家)の三井高棟の妻

 <養女 寿天子(すてこ)>
 浅子の義理の甥の三井高景の妻

【その他】

 <著書「一週一信」>
 1918年(皇紀2578)大正7年刊
 週刊新聞「基督教世界」に、ペンネーム「九転十起生(きゅうてんじっきせい)」で寄稿した内容に、70歳までの自伝を加えて書籍化したもの

 「女性の第二の天性は猜忌・嫉妬・偏狭・虚栄・わがまま・愚痴であり、西洋婦人は宗教により霊的修養をしている」という
 日本のキリスト教化に励んだもの


【京都検定 第13回2級】

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