広岡浅子(ひろおかあさこ)は、明治時代・大正時代の女性実業家・教育者・社会運動家
商家 小石川三井家に生まれ、大阪の豪商 加島屋に嫁ぐ
炭鉱業や銀行業、生命保険業などを起業し、晩年は、日本女子大学校(現在の日本女子大学)の発起、キリスト教化に尽力する
豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた
小石川三井家
<父親 三井高益>
小石川三井家 6代当主
上京区大黒屋町に広大な屋敷を構えていた(現在、一部が、ホテルルビノ京都堀川になっている)
正妻との間に三女一男があったがいずれも早世
高喜を別の三井家(南家)から養子に取り、48歳のとき家督を譲った
浅子は、50歳のときの娘で、正妻の子供ではなく、浅子が2歳のときに養女とする
<義兄 三井高喜>
小石川三井家 7代当主
号は三郎助
三井南家より、三井高益の養子となり、家督を継ぐ
<異母姉 春>
浅子より2歳上
三井高益の正妻の子供ではなく、三井高喜の養女として三井家に入籍
浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぐ
<義甥 三井高景>
三井高喜の長男
幼名は弁蔵、号は三郎助
浅子と1歳違いで、姉弟同然に育つ
小石川家第8代当主となり、妻の寿天子とともに、浅子の学校設立を支援した
広岡家
<夫 広岡信五郎>
第8代広岡久右衛門正饒の次男
早くに分家の嫡男として養子に出る
尼崎紡績(後のユニチカ)初代社長、大阪運河取締役
浅子との間に一女、女中ムメとの間に三女一男が生まれる
長男 松三郎は、大同生命保険4代目社長に就任する
<長女 広岡亀子>
浅子の一人娘
<娘婿 広岡恵三>
子爵 一柳末徳の次男
東京帝大卒業後三井銀行を経て、加島屋経営に加わる
加島銀行頭取、大同生命2代目社長、大阪電気軌道初代社長
神戸市東灘区の私邸は、現在、甲南女子大学になっている
<義弟 第9代広岡正秋>
夫の弟、第9代広岡久右衛門正秋
弟加島銀行初代頭取、大同生命初代社長
<養女 貴登(きと)>
三井北家(惣領家)の三井高棟の妻
<養女 寿天子(すてこ)>
浅子の義理の甥の三井高景の妻
<著書「一週一信」>
1918年(皇紀2578)大正7年刊
週刊新聞「基督教世界」に、ペンネーム「九転十起生(きゅうてんじっきせい)」で寄稿した内容に、70歳までの自伝を加えて書籍化したもの
「女性の第二の天性は猜忌・嫉妬・偏狭・虚栄・わがまま・愚痴であり、西洋婦人は宗教により霊的修養をしている」という
日本のキリスト教化に励んだもの