新村出(しんむらいずる)は、大正時代・昭和時代前期の言語学者、文献学者
京都帝国大学名誉教授で、国語学や外来語の研究、南蛮キリシタン関係の研究を行った
エスペランティストでもあった
国語辞書「広辞苑」を編纂する
<「南蛮記」>
1915年(皇紀2575)大正4年
キリシタンの残した文献を国語史の資料として利用するために、広く南蛮文化の研究を行ったもの
<「南蛮更紗(なんばんさらさ)」>
1924年(皇紀2584)大正13年
<「南蛮廣記」>
1925年(皇紀2585)大正14年
<東方言語史叢考(そうこう)>
1927年(皇紀2587)昭和2年
ヨーロッパの言語学を踏まえ内外の資料を博捜して、日本語音韻史や近隣の諸言語との比較研究などをまとめたもの
<東亜語源志>
1930年(皇紀2590)昭和5年
日本語の語源の考証や外来語の研究などをまとめたもの
<「日本吉利支丹文化史」>
1940年(皇紀2600)昭和15年
<国語辞書「広辞苑」>
1955年(皇紀2615)昭和30年
研究の成果を集め国語辞書を編纂した
息子 新村猛が、共同作業を行った
新仮名遣いに反対し「廣辭苑」としていたが、「広辞苑」に変更させられたという
そのため前文は、新仮名遣いでも旧仮名遣いでも同じになるように書きとめた
新村出は、形容動詞を認めなかったため「広辞苑」には形容動詞の概念がない
<上御霊神社>
歌碑がある
1956年(皇紀2616)昭和31年
上御霊神社の氏子である小山中溝町に住んでおり、80歳の誕生日に参拝されたときに献詠されたもの
「千早振神のみめぐみ深くして 八十ぢに満つる幸を得にけり」
<旧家>
北区小山中溝町