保元の乱(ほうげんのらん)は、平安時代末期に、鳥羽法皇の院政下において、崇徳上皇と後白河天皇とが対立し、
後白河天皇側が上皇側に奇襲を仕掛け、崇徳上皇の勢力を一掃した事件
朝廷の対立が武士の力で解決したことや、数百年ぶりに死刑が行われことで、大きな衝撃を与えた
乱の後、平清盛が後白河院と結び優位な地位を固め、武士勢力に政権の途を開くことになる
<天皇側>
後白河天皇
藤原忠通(関白)・藤原信西・藤原実能
源義朝・平清盛・源頼政・源義康(足利義康)・平重盛・平基盛・源義平
<上皇側>
崇徳上皇
藤原頼長(左大臣)・藤原教長
源為義・源頼賢・源為朝・源頼憲・平忠正・平長盛
<保元物語>
保元の乱を題材にした軍記物文学、全三巻
作者不明
鎌倉時代に書かれたとされる
<雨月物語の小説「白峰」>
保元の乱で敗れた崇徳上皇の亡霊を題材にした怪談
上田秋成の著
江戸時代に書かれた
<与謝蕪村の俳句>
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな