江戸幕府、徳川将軍家によって全国が統治されていた時代
264年間という世界史的にも稀な長期安定政権が続き「天下泰平」と称された平和な時代
二条城において、
京都所司代・町奉行をおき、江戸幕府の直轄都市とする
徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の3代により、京都の社寺の復興に力が入れられる
1611年(皇紀2271)慶長16年
角倉了以(すみのくらりょうい)によって、鴨川の西側に高瀬川が開削され、大坂と京都を結ぶ大動脈となる
伝統産業の復興にも保護が行われ、西陣織への保護が大きく、高機(たかばた)約7000台を保持した
観光都市化が進み、観光産業が発展する
町数は、1666町に増え、人口35万の第三の都市となる
上京の町数12組、下京の町数8組
<京都所司代>
江戸時代初期
京都の警備、朝廷・公家の監察、京都・伏見・奈良の町奉行の管理、 近畿全域の訴訟の裁決、
西国大名の監察などにあたった
<京都守護職>
幕末維新
薩摩藩藩主の父親 島津久光による文久の改革の一環として設けられた江戸幕府の職
江戸幕府の権威が低下し、京都に諸国から尊王攘夷派の過激志士らが集い治安が悪化したため、
京都市中の治安維持、御所・二条城の警護などを担うために設置された
会津藩藩主 松平容保が就任、金戒光明寺に本陣が置かれた
<伏見奉行所>
御所の警護、西国大名の監視、伏見港の監視、伏見の民政を担っていた
<御金改役>
幕府の金山・銀山を支配し、鋳造した貨幣を検定し、それに極印を打ち、一定の品位・重量・形状を保証した
後藤庄三郎が世襲した
「藩」は、明治時代以降の歴史用語で、江戸時代には公的な制度名ではなく、
江戸幕府から大名に与えられた領土は「領分(りょうぶん)」、大名に仕える者や支配組織は「家中(かちゅう)」などと称された
地理的な行政区分ではなく、岡山県倉敷市の一部が亀山藩であったり飛地の支配的領土も多くあった
<亀山藩>
<宮津藩>
<会津藩>
<薩摩藩>
<長州藩>
<土佐藩>
<糸割符制度>
生糸(白糸)の輸入制度
<後水尾天皇>
<八条宮(桂宮)>
<閑院宮>
<桂昌院>
<石田梅岩>
<板倉勝重>
<春日局>
<荷田春満>
<木下順庵>
<後藤庄三郎>
<渋川春海>
<下村彦右衛門>
<新宮凉庭>
<角倉了以>
<角倉素庵>
<千姫>
<高山彦九郎>
<茶屋四郎次郎>
<天海>
<徳川家康>
<徳川秀忠>
<徳川家光>
<徳川家茂>
<徳川慶喜>
<豊臣秀頼>
<ねね(高台院)(北政所)>
<細川忠興>
<松永尺五>
<松平定綱>
<松平定信>
<宮本武蔵>
<徳川実紀(御実紀)>
江戸時代後期に編纂された江戸幕府の公式史書
初代将軍 徳川家康から10代将軍 徳川家治まで、将軍ごとに編を分けて年月を追い事績が記載されている
<続徳川実紀>
11代将軍 徳川家斉から、徳川慶喜までの公式史書
編集作業が明治時代となり、稿本のまま未完成で終わっている