松尾大社西七条御旅所(にししちじょうおたびしょ)は、七条御前の南、西蓮寺の南にある松尾大社の御旅所の一つ
松尾大社の松尾祭の神幸祭(おいで)のとき
大宮社(松尾大社)、櫟谷社(櫟谷宗像神社)、宗像社(櫟谷宗像神社)、四大神社のお神輿、月読神社の唐櫃の渡御があり、
5社の分霊を乗せた神輿・唐櫃が、還幸祭(おかえり)まで、21日間駐輦(滞在)する
<本殿>
祭神 松尾大神が祀られている
<拝殿>
<神輿庫>
<社務所>
<武御前社(たけのごぜんしゃ)>
境内の北東隅にある
祭神:武甕槌神(たけみかづちのかみ)
旧西七条村の産土の神さんとして崇敬されてきた
子どもが生まれると、当社にお宮参りをして、
男児の額には「大」女児には「小」の朱文字を書き、鼻を摘んでもらう慣わしがあった
かつて、還幸祭(おかえり)のときに、白木の神輿を新造して、子どもたちが桂川まで担いだ
翌日、白木の神輿を担ぎ、叩き壊して、その木切れを持ち帰り、トイレに挿して疫病封じとしたといわれる
1886年(皇紀2546)明治19年から1970年(皇紀2630)昭和45年まで
お神輿が新造され、還幸祭の翌日の早朝、本社のお神輿が還った跡を追い、御旅所周辺を巡行した
「居眠り神輿」と称された
松尾大社の松尾祭
<神幸祭(おいで)>
4月20日以後の最初の日曜日
松尾祭の神幸祭(おいで)に、松尾大社において、
松尾七社(大宮社、月読神社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四大神社)の神輿(月読神社は唐櫃)が、
本殿の分霊を受けて、拝殿を三回まわる「拝殿廻し」の後、順次、御旅所にむけて出発していく
西七条御旅所には、
大宮社(松尾大社)、櫟谷社(櫟谷宗像神社)、宗像社(櫟谷宗像神社)、四大神社のお神輿、月読神社の唐櫃の5社の渡御があり、
還幸祭まで、21日間駐輦(滞在)する
<還幸祭(おかえり)>
御旅所で安置されていた神輿は、神幸祭より21日目の日曜日の還幸祭(おかえり)で、松尾大社に戻される
松尾祭において、
松尾七社(大宮社(松尾大社)、月読神社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四大神社)のお神輿・唐櫃が、
それぞれの御旅所に渡御する
<西七条御旅所>
下京区西七条南中野町
大宮社(松尾大社)、櫟谷社(櫟谷宗像神社)、宗像社(櫟谷宗像神社)、四大神社の4基の神輿と、月読神社の唐櫃が安置される
<三宮社御旅所(境外末社 松尾三宮社)>
右京区西京極北裏町
三宮社の神輿が安置される
<衣手社御旅所(境外末社 衣手神社)>
右京区西京極東衣手町
衣手社の神輿が安置される
<朱雀御旅所(境外末社 朱雀松尾總神社)>
下京区朱雀裏畑町
還幸祭(おかえり)における途中の御旅所で、松尾七社のお神輿6基・唐櫃1基が立ち寄り祭事が行われる