清風荘(せいふうそう)
(Seifuso) 京都通メンバ
所在地:京都市左京区田中関田町 
   名所地図情報名所

主屋竣工:1912年(皇紀2572)大正元年

建物の設計:二代目 八木甚兵衛
庭園の設計:七代目 小川治兵衛

国の名勝:清風荘庭園
重要文化財:12棟

 清風荘(せいふうそう)は、鴨川出町柳駅の東方、今出川通の北側にある歴史的建造物と日本庭園

 西園寺公望の別邸として建てられ、七代目 小川治兵衛により日本庭園が作庭されている

 京都帝国大学へ寄贈され、教育・迎賓・会議施設として用いられている

【清風荘の歴史・経緯】

【清風荘の建物】

 敷地は、東が狭く西が広い台形になっている
 敷地の西側に主屋があり、
 西辺の北寄りに正門、東側に離れ、北側に土蔵・納屋・附属屋、南側に茶室がある

 いずれの建物も数寄屋造

 建物の設計:二代目 八木甚兵衛
 庭園の設計:七代目 小川治兵衛
 数寄屋大工:上阪浅次郎

 12棟が重要文化財に指定されている
 いづれも、2012年(皇紀2672)平成24年7月9日に重要文化財に指定される

 <正門(せいもん)1棟(重要文化財)>
 西辺の一乗寺通に面して北寄りに建っている
 木造、一間腕木門、切妻造、桟瓦葺、左右袖塀附属
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <主屋(おもや)1棟(重要文化財)>
 木造、数寄屋造、建築面積323.75m2、一部2階建、寄棟造、桟瓦葺一部こけら葺
 中棟・西棟・東棟の3棟からなる
 各部屋が、大小の中庭を介してつながっている
 中棟は、木造2階建で、各部屋の間取りは他の棟より小さくなっている
 中棟の二階座敷からは東山が望める
 西棟は、木造平屋建で、主に会議室として用いられた
 西棟の天井板は、佐野笹目という有名な杉材
 1912年(皇紀2572)大正元年の建立

 <離れ(はなれ)1棟(重要文化財)>
 主屋の東棟になる
 木造2階建、茶室間取造、建築面積103.66m2、寄棟造、主屋間渡廊下付、桟瓦葺一部こけら葺
 1階の廊下は、栂の木の4間継ぎ目無し
 床柱は、杉自然皺、床板は松の赤身一枚板、欄間は櫛型造
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <土蔵(どぞう)1棟(重要文化財)>
 土蔵造、建築面積36.93m2、2階建、切妻造、南面下屋及び主屋間渡廊下付、桟瓦葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <附属屋(ふぞくや)1棟(重要文化財)>
 木造、建築面積100.78m2、寄棟造、桟瓦葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <詰所(つめしょ)1棟(重要文化財)>
 木造、建築面積14.59m2、寄棟造、桟瓦葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <納屋(なや)1棟(重要文化財)>
 木造、建築面積40.13㎡、切妻造、桟瓦葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立


 <清風荘庭園(国の名勝)>
 主屋の南側にある
 七代目 小川治兵衛の作庭
 1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日 国の名勝に指定される

 庭園内に、茶室・供待・第一中門・第二中門、袴付及び待合がある

 <茶室(ちゃしつ)1棟(重要文化財)>
 貴人口(きにんぐち)と称される
 木造、建築面積26.16m2、切妻造段違、檜皮葺一部桟瓦葺
 数寄屋大工 上阪浅次郎が手掛けている
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <供待(ともまち)1棟(重要文化財)>
 木造、建築面積22.29㎡、入母屋造、檜皮葺、茶室間渡廊下附属、こけら葺
 数寄屋大工 上阪浅次郎が手掛けている
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <第一中門(だいいちちゅうもん)1棟(重要文化財)>
 木造、一間薬医門、入母屋造、檜皮葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <第二中門(だいにちゅうもん)1棟(重要文化財)>
 木造、一間腕木門、切妻造、杉皮葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

 <袴付及び待合(はかまつけ まちあい)1棟(重要文化財)>
 木造、建築面積21.22㎡、北面入母屋造、南面切妻造、こけら葺一部檜皮葺
 1914年(皇紀2574)大正3年の建立

【清風荘へのアクセス】

 市バス 百万遍
 京阪電車 出町柳駅


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