對龍山荘(たいりゅうさんそう)
(TairyuuSansou) 京都通メンバ
所在地:京都市左京区南禅寺福地町 
   名所地図情報名所

南禅寺界隈別荘の一つ
京数奇屋名邸十撰
国の名勝

約1,800坪

重要文化財(4棟:主屋・南土蔵・表門・北土蔵)(2024年(皇紀2684)令和6年8月15日指定)

所有:株式会社ニトリホールディングスの保養所・宿泊施設

 對龍山荘(たいりゅうさんそう)は、東山西麓、南禅寺 塔頭 金地院の西隣にある山荘

 庭師 七代目 小川治兵衛による日本庭園と、京数奇屋名邸十撰にも選ばれる建物がある

 明治時代に南禅寺界隈に造られた多くの別荘庭園の一つ

 現在は、株式会社ニトリホールディングスの保有になり、保養所・宿泊施設となっている
 庭園の一部と茶席が残っている

【對龍山荘の歴史・経緯】

【對龍山荘】

 東山西麓、南禅寺 塔頭 金地院の西隣にある山荘

 かつては、南禅寺境内だった

 約1800坪からなる広大な敷地に、池や流れ、滝石組、水車小屋、茶室、芝生広場などがある

 全体は、西に建物があり、東に庭園がある

 貴重な近代和風建築として4棟(主屋・南土蔵・表門・北土蔵)が国の重要文化財に指定されている(2024年(皇紀2684)令和6年8月15日)


 <聚遠亭庭園(国の名勝
 広大な敷地に、池や流れ、滝石組、水車小屋、茶室、芝生広場などが設けられる
 南半の流れと北半の池庭で構成される
 南端の小滝から、琵琶湖疏水の分水を落として、浅い流れとして北流させ、
居室、茶室の前を通り、書院の縁下を流れて、池に流れ込む
 池の東端では、大滝と伝落ちの滝から水を落とし、両滝の中間に水車小舎がある
 池には、中島があり、渡しかけの橋と沢飛石で結ばれる
 南の流れの東には、芝生の園地があり、池の東奥には菜園がある

 茶会や園遊会などが行えるよう、実用的な作りとなっている

 1901年(皇紀2561)明治34年
 彦根出身の京呉服商 初代 市田弥一郎が所有したときに、
 庭師 七代目 小川治兵衛により、庭園が造りなおされた


 <主屋(重要文化財)>
 北から、書院(對龍台)、茶室群(聚遠亭)、居室群と連続して建てられている
 木造、建築面積464.35m2、一部二階建、桟瓦葺一部こけら葺・銅板葺  1896年(皇紀2556)明治29年
 薩摩藩出身の技術系官僚でもある実業家 伊集院兼常が所有しているときに建てられた
 1905年(皇紀2565)明治38年頃、増改築されている

 書院
 数寄屋造の建物
 当代随一といわれた大工の島田藤吉(島藤)の建築
 「對龍台」と称される、池に張り出すような形で作られた一室からは、
建物・庭園・東山の景観が一体となった雄大な景色が広がる
 複雑な屋根に庇などが付された変化に富む外観
 「京数奇屋名邸十撰」にも選ばれる名建築

 茶室 聚遠亭(じゅおんてい)
 小川のほとりに深い庇を差し出す
 床は地面から27cmしかないく、座敷に座ると風景に包み込まれる感覚になるといわれる
 床廻りに古材を用いた数寄屋造で、多様な材料を駆使した寂びた風情の茶室


 <表門(重要文化財)>
 木造、腕木門、切妻造、左右袖塀付、両潜戸含む、桟瓦葺
 1905年(皇紀2565)明治38年頃の建立

 <北土蔵(重要文化財)>
 土蔵造、建築面積27.82m2、二階建、桟瓦葺  1905年(皇紀2565)明治38年の建立

 <南土蔵(重要文化財)>
 土蔵造、建築面積64.58㎡、二階建、北面下屋付、桟瓦葺  1905年(皇紀2565)明治38年の建立

【その他】

 <名前の由来>
 市田弥一郎により所有されたとき
 南禅寺の山号「瑞龍山」に対して位置していることから命名されたといわれる

【對龍山荘へのアクセス】

 地下鉄 東西線 蹴上駅 徒歩約5分
 市バス 永観堂前 徒歩約10分


【京都検定 第17回1級】

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