物集女城(もずめじょう)は、現在の向日市物集女町中条にあった平城
乙訓惣国の代表者の一人だった物集女氏の居城
物集女集落のほぼ中心に位置し、平地の集落に接して築かれていた
物集女縄手と称される嵯峨と西国街道を結ぶ脇街道沿いにあり、背後には向日丘陵がある要衝にあった
防御のために、周囲に堀、・土塁を巡らせていた
分類 :平城・方形単郭式
築城者:物集女氏
主郭:南北約75m、東西70mから100m
敷地中央は、二段に分けられ、西側に主郭(城主の居館)、東に副郭(配下の住居地)があった
堀(濠)の一部は、現在も用水として利用されている
<物集女城跡(国の史跡)>
戦国時代
乙訓地域の有力な国人たちが守護の支配を排して自治を行った乙訓惣国には、45か所ほどの城があったといわれ、
現在、痕跡が残っているの4か所の一つ
もっとも保存状態がよいとされる
主郭:畑となっている
水濠:東側から北側にかけて幅約10m、深さ1m以上
現在は、用水として利用されている
土塁:北東隅の一部と東辺に、高さ約2m・幅7~12m
北西隅のムクの木のある所は少し高くなっており、櫓台跡といわれる
南土塁、西土塁も発掘されている
土塁基底部からは、 戦国時代前期の土師器・陶器・瓦質土器・青磁・釘などが出土している