地図情報
この地は、西に西国街道、東に久我畷、南に淀川が位置する京都盆地の南西部の要所だったところ
<勝竜寺城本丸>
梯郭式平城
中心部は、本丸と沼田丸に別れる
<模擬石垣・櫓>
<銅像>
勝竜寺城で3年間過ごした、細川忠興と細川ガラシャ(明智玉)の銅像が本丸跡に残る
<勝竜寺城土塁・空堀跡(長岡京市指定史跡)>
神足神社境内の南西・東南の鉤型に、勝竜寺城の北方外郭として造られた土塁・空堀・土橋遺構がある
現在は、神足土塁公園として整備されている
神足神社境内の標高が、勝竜寺城より10m高く、北側の防御線になっていた
発掘調査によると、土塁の頂部は幅約3.4m、裾部の幅は約7.5m、高さ約6mあった
境内北に、もうひとつの土塁と堀が築造されており、二重の土塁と堀に防御されていた
平安時代末期
神足神社の地は、小野宮領内荘園「神足園」だったといわれる
室町時代
土塁が築かれ「神足屋敷」「神足城」とも称される
1571年(皇紀2231)元亀2年
勝竜寺城に細川藤孝が入り大改修をしたときに勝竜寺城の北の外郭として取り込まれる
<長岡京ガラシャ祭>
日時:11月第2日曜日
メイン会場:長岡京市立中央公民館市民ひろば・勝竜寺城公園
勝竜寺城跡が復興された記念に、細川ガラシャが16歳で、勝竜寺城の細川忠興のもとに嫁いできたことを祝い行われ始める
京都通メンバページ
写真:表示/非表示