小式部内侍(こしきぶのないし)

小式部内侍(こしきぶのないし)は、平安時代の女流歌人

生年:999年(皇紀1659)長徳5年頃
没年:1025年(皇紀1685)万寿2年11月

父親:橘道貞
母親:和泉式部

小倉百人一首60番
女房三十六歌仙の一人

 小式部内侍(こしきぶのないし)は、平安時代の女流歌人

 母親 和泉式部と共に、一条天皇の中宮 上東門院に仕えた掌侍(内侍)

 母親と同じように多くの恋人がいた

【小式部内侍の歴史・経緯】


【小式部内侍の主な歌】

 <大江山 いく野の道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立
 小倉百人一首60番
 「大江山を越えて生野へ向かう道のりですら遠く、母のいる天の橋立の地も踏んだこともありません
(手紙もみたことがありません)」という意味

 当時、小式部内侍の歌は母親 和泉式部が代作しているという噂があり、
 四条中納言(藤原定頼)が、歌合に歌をだす小式部内侍に、「夫の赴任先の丹後にいた母親に代作を頼む使者を
送ったか?返事は返ってきたか?」と意地悪な質問をしたのに対し、その場で詠んだ歌といわれる
 当時、歌を詠まれれば返歌を行うのが礼儀であったが、小式部内侍のみごとな歌に
四条中納言が狼狽して、返歌も出来ずに立ち去ってしまったといわれる

 <死ぬばかり 嘆きにこそは嘆きしか いきてとふべき 身にしあらねば>
 二条関白 藤原教通が、重い病気になり回復したとき、小式部に、「なぜ見舞いに来なかったのか?」と
問いかけたときに、詠んだ歌
 「あなたの病気のことを死ぬような思いで心配し、辛くてたまらず、とてもお見舞いに行けなかった」という意味

【ゆかりの書】

 <後拾遺和歌集>
 <十訓抄>
 <古今著聞集>
 <無名草子>


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