和泉式部(いずみしきぶ)

平安時代中期の女流歌人

生年:不詳
没年:不詳

父親:越前守 大江雅致
母親:越中守 平保衡の娘
娘:小式部内侍

幼名:御許丸(おもとまる)

中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人

墓地:誠心院の石造宝篋印塔

 和泉式部(いずみしきぶ)は、平安時代中期の女流歌人

 宮中に仕えた王朝歌人の一人で、親王らと恋愛関係を持ち、情熱的な恋歌に高い評価を受けている

【和泉式部の経緯】

【和泉式部の作品】

 和泉式部本人の身の回りの状況が、そのままに恋歌・哀傷歌・釈教歌になったような趣がある
 特に、恋歌に情熱的な秀歌が多いといわれ、高い評価を受けている
 歌人 藤原公任にも賞賛されていたといわれ、敦道親王と藤原公任と3者で和歌を詠みあったもりした

 一条天皇の中宮 上東門院藤原道長の娘)に女房として出仕していた時代に、
 同じく宮中にいた紫式部・伊勢大輔・赤染衛門らとともに宮廷サロンを開いていたといわれる王朝歌人の一人

 「拾遺和歌集」以下の、勅撰和歌集に246首の和歌が掲載されている
 死亡後の最初の勅撰集「後拾遺和歌集」には、他の歌人よりも最も多くの歌が入集されている

 恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と評された
 同僚の女房の紫式部には「紫式部日記」では、「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と評された

 <家集「和泉式部正集」>
 <家集「和泉式部続集」>
 <「宸翰本和泉式部集」>

 <「和泉式部日記」>
 敦道親王との恋を物語風に記した日記
 和泉式部の作品ではないともいわれている

 <小倉百人一首
 「あらざらむ この世のほかの思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」


【和泉式部のゆかりの地】

 女性にまつわる民間信仰にも由来して、全国に多くのお墓や供養塔が作られている

 <誠心院
 藤原道長が、和泉式部のために東北院内に建立し、和泉式部を開山とする寺院
 「和泉式部寺」とも称され、和泉式部のお墓といわれる宝篋印塔がある
 3月21日には、和泉式部の命日とされ、和泉式部忌(いずみしきぶき)が行われる
 和泉式部が遺愛した「軒端の梅」がある

 <廬山寺
 晩年、暮らしたといわれる東北院の跡がある

 <誓願寺
 娘に先立たれて、哀しみから世の無常を感じた和泉式部は、播州の書写山へ高僧 性空上人を訪ねると、
「京都八幡山の大菩薩に祈るべし」と言われ、石清水八幡宮で祈願すると、夢に老僧が現れ「誓願寺で祈るべし」と告げられた
 和泉式部が、誓願寺で48日間篭って一心に念仏を唱えたところ、霊夢に老尼が現れて、「念仏をとなえれば女人の往生は疑いなし」と
お告げがあったといわれる
 和泉式部は、尼となり、庵を結び(後の誠心院)、往生したといわれる

 <稱名寺
 和泉式部のお墓とされる五重寶篋印塔がある

 <貴船神社
 和泉式部の歌碑がある
 和泉式部は、夫 橘道貞の心変わりに癒そうと貴船神社に参詣し、貴船川に舞う蛍を見て歌を詠む
   「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(後拾遺和歌集)
 すると、貴船の神から
   「奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉散るばかりものな思ひそ」と返歌があり、夫の愛を取り戻すことができたといわれる

 <貴船
 貴船口から100mほど上流にある「蛍岩(ほたるいわ)」
 和泉式部が、貴船神社に参詣して、夫との恋の成就を祈願して歌を詠んだといわれるところ
 奥宮の参道の入口に橋が架かる「思ひ川」
 貴船神社本宮が奥宮にあったころ、参詣する時に禊(みそぎ)をして心身を清めた御物忌川(おものいみかわ)があった
 和泉式部が、参拝して恋を祈願したことから、「おものいみ川」が「思ひ川」に変わったといわれる

 <一条戻橋
 和泉式部の歌が残る
 「いづくにも 帰るさまのみ 渡ればや 戻り橋とは 人のいふらん」

 <清凉寺
 阿弥陀堂の付近に、和泉式部が好んだといわれる「軒端の梅」が植えられている

 <智恩寺
 和泉式部の歌塚(宮津市指定有形文化財)>
 「丹哥府志(たんかふし)」によれば、丹後守藤原公墓が、日置金剛心院において、和泉式部が書き捨てた和歌を持ち帰り、
なみだの磯(涙が磯)に埋めて「鶏塚」と称したという
 「いつしかと 待ちける人に 一声も 聞かせる鶏の うき別れかな」

 <祇園祭 保昌山
 「花盗人山(はなぬすびとやま)」とも称される
 文武ともに才能があった平井保昌が、恋する和泉式部に紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれ、一枝手折ったことで発見され、
を放たれて逃げ帰る様子を表す
 保昌と和泉式部の恋物語にちなんで、縁結びのお守りが授与される

 <太秦和泉式部町>
 右京区太秦にある地名

【その他】

 <名前の由来>
 夫の橘道貞が和泉守となり、橘道貞と共に和泉国に住んでいたことで「和泉式部」と称されるようになる

 <小式部内侍
 夫の橘道貞との間の娘
 母親譲りの歌才を持っていたといわれる

 <賀茂祭(葵祭)
 敦道親王と、特異な形の牛車に同乗して見物に出かけ注目を集めたといわれる


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