小沢蘆庵(おざわろあん)(Roan Ozawa)

江戸時代中期の歌人、国学者

生年:1723年(皇紀2383)享保8年
没年:1801年(皇紀2461)享和元年7月11日
享年:79

父親:小沢喜八郎実郡(実邦)
末子
母親:由佐(曾和氏の娘)

幼名:玄仲(はるなか)、玄沖
通称:帯刀
養子:本荘七郎
別号:観荷堂、図南亭、孤鴎、七十童、八九童

平安和歌四天王の一人

出身:難波
お墓:心性寺

 小沢蘆庵(おざわろあん)は、江戸時代中期の歌人、国学者

 独自の歌学に目覚め、平易な言葉で自然な感情・心をありのままに表現する「ただごと歌」を主張した

 平安和歌四天王の一人とされる

【小沢蘆庵の歴史・経緯】

【小沢蘆庵の歌風】

 冷泉為村に入門し和歌を学ぶが、歌風の相違か詳細不明だが、冷泉家から破門されている
 破門後には、独自の歌論「ただこと歌」を主張して、それを実践することを説いている

 <歌論書「布留の中道」
 1800年(皇紀2460)寛政12年の刊
 「ただいま思へる事を、わがいはるる詞をもて、ことわりの聞ゆるやうにいひいづる、これを歌とはいふなり」と
技巧を用いず、平易な言葉で、自然な感情・心をありのままに表現して詠むのがよいとした
 伴蒿蹊、香川景樹、大田垣蓮月など、多くの歌人に強い影響を与えたといわれる

 <歌論書「振分髪」>

 <自撰家集「六帖詠草」
 1804年(皇紀2464)文化元年の成立、1808年(皇紀2468)文化5年の刊行

 <「六帖詠草拾遺」>
 1849年(皇紀2509)嘉永2年
 「六帖詠草」に漏れた歌を門人が編集して刊行された

 <自筆稿本「六帖詠藻」7冊>
 1811年(皇紀2471)文化8年の成立

 <蘆庵門下の四天王>
 小川布淑、前波黙軒、田山敬儀、小野勝義の4人

【小沢蘆庵のゆかりの地】

 <新日吉神宮
 小沢蘆庵など、多くの文学者の稿本など近世文学の資料が保存されている「蘆庵文庫」がある

【その他】

 <本居宣長>
 1793年(皇紀2453)寛政5年
 本居宣長が上京したときに対面、唱和している
 小沢蘆庵からの詞
  「この翁は わがはたち余りの比 あひし人にて 年はいくらばかりにやと とへば 六十四とこたふ。
  そのよの人をたれかれとかたりいづるに のこれる人なし」

 本居宣長が、小沢蘆庵の歌を宣長が評した著書「蘆庵歌宣長評」
 小沢蘆庵が、本居宣長の「玉あられ」を批判した著書「玉霰難詞」

 <妙法院宮真仁法親王>
 わざわざ小沢蘆庵の屋敷を訪問してくるほど蘆庵を信頼し、庇護した


【京都検定 第6回1級】

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