和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)

生年:1846年(皇紀2506)弘化3年5月10日
没年:1877年(皇紀2537)明治10年9月2日
享年:32(満31歳)

仁孝天皇(にんこうてんのう)第八皇女

母親:仁孝天皇 典侍(てんじ)橋本経子(はしもとつねこ)

異母兄:孝明天皇

号名:静寛院宮(せいかんいんのみや)

 和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)は、江戸幕府第14代将軍 徳川家茂の正室

 皇女が、武家に降嫁し関東下向した歴史上で唯一の女性

 徳川家茂は、側室は作らず、和宮とも、誰との間にも子供は産まれなかった

【和宮親子内親王の歴史・経緯】


【和宮親子内親王の著書】

 <静寛院宮御日記

【和宮親子内親王のゆかりの著書】

 <和宮様御留>
 有吉佐和子が著した小説

 <皇女和の宮>
 川口松太郎が著した小説

【その他】

 <和宮様御留>
 有吉佐和子が著した小説

 <皇女和の宮>
 川口松太郎が著した小説

【その他】

 <皇女和宮生誕の地
 京都御苑の松林の中、橋本家跡にある


 <時代祭
 時代行列では、江戸時代婦人列に登場する


 <西陣織
 入洛されてそのまま大阪城で死去された徳川家茂の遺骸とともに、
「お土産に」と徳川家茂ねだっていた西陣織が、平岡丹波から届けられる

 和宮は、遺品となった西陣織を受け取り
  「空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」と詠む


 <中山道を江戸に下るときの歌>
 「惜しまじな 君と民との 為ならば 身は武蔵野の 梅雨と消ゆとも」


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