山城国一揆(やましろのくにいっき)は、南山城の国人や農民らが、守護大名 畠山氏の政治的影響力を排除し自治を行ったこと
山城国(現在の京都府南部)南部の上三郡(久世郡、綴喜郡、相楽郡)で国人や農民が協力し、
守護大名 畠山氏の政治的影響力を排除し、8年間の自治を行った
「国一揆」は、国人が起こした一揆のことをいうが、
山城国一揆は、国人と、惣の農民らも参加しており、惣国一揆とされる
「国中掟法(くにじゆうおきて)」を取り決め、
畠山政長と畠山義就の国外撤退、寺社領の還付、新関 (しんせき) の撤廃、年貢の半済を決議された
政治は、「三十六人衆」と称される指導的な国人により行われた