山城国(やましろのくに)は、律令制に基づく行政区分だった律令国(りつりょうこく)の一つ
桓武天皇が、平安京への遷都のときに、名称を「山城国」と改称される
1868年(皇紀2528)明治元年の時点で、8群・495村あった
<乙訓郡(おとくにぐん)>
向日市・長岡京市・大山崎町の全域、伏見区・南区・西京区の一部
<葛野郡(かどのぐん)>
右京区の大部分、北区・中京区・下京区・南区・右京区・西京区の一部
<愛宕郡(おたぎぐん)>
左京区の大部分、北区・東山区の一部
<紀伊郡(きいぐん)>
伏見区の大部分、東山区・南区・宇治市の一部
<宇治郡(うじぐん)>
山科区の全域、伏見区・宇治市の一部
<久世郡(くせぐん)>
久御山町の全域、伏見区・宇治市・城陽市・八幡市・宇治田原町の一部
<綴喜郡(つづきぐん)>
京田辺市の全域、八幡市・井手町・宇治田原町の大部分、伏見区・城陽市の一部
<相楽郡(そうらくぐん)>
木津川市・笠置町・和束町・精華町・南山城村の全域、井手町の一部
<「山城国」の命名>
794年(皇紀1454)延暦13年11月8日
桓武天皇の詔
「この国、山河襟帯、自然に城を作す。
この形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改め山城国となすべし。
また子来の民、謳歌の輩、異口同辞し、何々と号す」
<山城国風土記>
平安京遷都以前の山城国の文化風土や地理的状況などが記録されている地誌
<地誌「雍州府志」>
儒医・歴史家 黒川道祐がまとめた山城国についての総合的な地誌
<逢坂関>
山城国と近江国の国境とされる逢坂山に設けられた関所
<山城国一揆>
応仁の乱の終結後も、守護大名の畠山氏の跡目争いが続いたことから、
久世郡・綴喜郡・相楽郡一帯の国人や農民が協力して畠山氏を排除し、約8年間、自治を行った
<山城地域>
現在の京都府の南部地域に位置する
旧山城国のうち、現在の京都市を除く地域を慣用的に称される
7市7町1村、人口は約70万人、面積は約554m2