応仁の乱(おうにんのらん)(War of Ounin)

期間:1467年(皇紀2127)応仁元年〜1477年(皇紀2137)文明9年

大戦:東軍 細川勝元派 − 西軍 山名宗全派

場所:京都を中心に全国
発祥の地:上御霊神社

俗称:先の大戦

 応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代、8代将軍 足利義政のときに起こった11年におよぶ史上最大の内乱

 京都市街地は焼け野原となり、多くの文化財・伝統文化・生活文化も失われ、京都では、「先の大戦」と称される

 8代将軍 足利義政の、実弟 足利義視と、正室 日野富子・息子 足利義尚との足利将軍家の跡継ぎ争いと、
 複数の管領家の跡継ぎ争いと覇権争いが要因となる

 上御霊神社で最初の戦いが起こる

 管領細川勝元が東軍の主謀、四職の山名宗全が西軍の主謀となる

 途中で、陣営の寝返り・下剋上が頻繁に起こり戦国大名が生まれ戦国時代に突入していく

【有力家】

 <足利将軍家>
 8代将軍 足利義政の跡継ぎ問題
 足利義視 :義政の実弟 :義政に実子がいない時期に義政の養子となり跡継ぎとされていた :後見人:細川勝元
 足利義尚 :直前に生まれた正室 日野富子との実子 :後見人:山名宗全


 <管領家(三管領)>
 将軍を補佐する家柄
 細川家 :当主 細川勝元が掌握
 畠山家 :当主争い:畠山政長・畠山義就
 斯波家 :当主争い:斯波義敏・斯波義廉


 <四職家(ししきけ)>
 侍所の長官になれる家柄
 山名家 :当主 山名宗全が掌握:次男の山名是豊だけが対抗
 赤松家 :山名宗全により滅亡し、その後、足利義政により再興され、山名家と対抗
 京極家 :当主争い:京極勝秀の長男 乙童子丸・次男 孫童子丸
 一色家 :当主 一色義直が掌握

  東軍 西軍
主謀細川勝元山名宗全
将軍家足利義政の実弟 足利義視
(その後、東軍から西軍へ)
足利義政の実子 足利義尚
(その後、日野富子がいる東軍へ)
細川家ほぼ全員 
畠山家畠山政長畠山義就
斯波家斯波義敏斯波義廉
山名家山名是豊(宗全の次男)ほぼ全員
赤松家ほぼ全員有馬元家(赤松分家)
京極家京極勝秀
次男 孫童子丸
 
長男 乙童子丸
赤松家 ほぼ全員

【応仁の乱までの経緯】


関係者を足利義政細川勝元山名宗全
畠山持国(管領) 政敵後見を得る⇒その後、政敵になる
畠山義就(畠山持国の実子)細川・山名に対抗して支援する
再上洛後に家督を認める
その後、追放する
その後、山名の取計いで赦免する
追放する



追放する


赦免を取り計らう⇒御霊合戦
畠山弥三郎(畠山持国の甥) 支援する支援する
畠山政長(畠山弥三郎の弟)政長を匿った細川家臣を切腹さす
義就から家督を与える
その後、出仕停止⇒御霊合戦
支援する

出仕停止、管領を斯波義廉へ交代
    
斯波義敏(越前・尾張・遠江守護)関東派兵を拒否され家督を義寛へ
再上洛後、家督を義廉から戻す
 


文正の政変で追放


文正の政変で追放
斯波義寛(斯波義敏の子)家督を義敏から与える  
斯波義廉(渋川義鏡の子)家督を義寛から与える
義敏の再上洛後、出仕停止にし
家督を義敏へ戻す
 
 


文正の政変後、管領にする
    
赤松満祐(播磨・備前・美作守護)6代将軍 足利義教を暗殺
 
討伐し播磨国などを得る
赤松則尚(赤松満祐の甥)再興を支援
(反対する宗全に退治命令)
 
再興を支援
(宗全の退治命令を取り消させる)
 
再興に猛反発
(退治命令を受けて引退する)
備前国に追いやり自害さす
赤松政則(赤松満祐の孫)家督相続を許し、政所執事にする


 
加賀半国守護として復興さす
文正の政変に連座して失脚
支援して政界に復活さす
東軍に参戦させる
再興に猛反対
文正の政変に連座して失脚

(政則に攻められ旧領が奪われる)
    
足利義視(足利義政の実弟)還俗させて将軍職を譲ろうとする


 
後見人となる
義政から牙旗を授与され官軍となる
義視は東軍を出て比叡山へ
 



比叡山から西軍へ迎える
足利義尚足利義政の実子)正室 日野富子との子

将軍職を譲り隠居する

義視が東軍を出た後、擁立する
 
日野富子が将軍擁立を依頼

 

【文正の政変】

【御霊合戦】

【応仁の乱】

【応仁の乱の因果】

 <上御霊神社北野天満宮
 京都の歴史上、最大の災いとなった応仁の乱の発端の地となり、東軍が陣を張った上御霊神社は、
早良親王や井上内親王など、12柱の御霊(強い怨霊)を鎮めるために祀られたところ


 西軍が陣を張った西陣には、菅原道真の怨霊を鎮めるために創建された北野天満宮がある

【その他】

 <応仁の乱勃発地
 上御霊神社の森での合戦から、後の応仁の乱に発展し、約11年間も続く日本史上最大の内戦となった

 <西陣
 西軍の山名宗全が陣を張った地域を「西陣」と称するようになった


【京都検定 第1回3級】

39.西陣織について、次のことは正しいかどうか?
(エ)「西陣」の名前は、応仁の乱で山名宗全らの西軍が陣地を敷いたことから名付けられた

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第9回3級】

【京都検定 第13回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第14回2級】

【京都検定 第16回2級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第5回1級】

【京都検定 第7回1級】

【京都検定 第12回1級】

【京都検定 第13回1級】

【京都検定 第16回1級】


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