橋本左内寓居跡(はしもとさないぐうきょあと)は、幕末維新に活躍した越前国福井藩士の居住跡
1858年(皇紀2518)安政5年2月から4月まで
橋本左内が、この地にあった福井藩邸に居住して活躍した
二条城の東にある京都国際ホテルの玄関口に、福井藩邸跡と橋本左内寓居跡の石碑が立っていたが、
京都国際ホテルが閉業し、新規にHOTEL THE MITSUI KYOTOが建てられ、
石碑は、東堀川通二条に移された
橋本左内(はしもとさない)は、越前国福井城下に生まれ、大阪・江戸で、洋学・医学を学び、
藩主 松平慶永(まつだいらよしなが)に認められて、藩学明道館の幹事となる
1857年(皇紀2517)安政4年
由利公正らと幕政改革に参加
14代将軍を巡る安政の将軍継嗣問題では、一橋慶喜(徳川慶喜)の擁立運動を行い、
藩命により上洛し、この地を拠点にして、「桃井亮太郎」「桃井伊織」の偽名で活動した
開国派の思想を持ち、攘夷派からは危険人物とされた
1859年(皇紀2519)安政6年
井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ、小塚原刑場にて斬首された
享年26
時代祭の時代行列にも登場する
<石碑「橋本左内寓居跡」>
東堀川通と二条通の角、HOTEL THE MITSUI KYOTOの塀沿いに、石碑と駒札が立てられている
<旧石碑「橋本左内寓居跡」>
東堀川通二条下ル東側の京都国際ホテル前に石碑と駒札が立てられていた
建立年:1968年(皇紀2628)昭和43年11月
建立者:京都市
大きさ:高さ97cm × 幅19cm × 奥行18cm
碑文:
(西側)橋本左内寓居跡
(北側)昭和四十三年十一月 京都市
<福井藩邸跡>
橋本左内が属していた福井藩の藩邸が寓居の南側にあった
橋本左内寓居跡の石碑から、東堀川通を下ったところに石碑が立っている