二条城(にじょうじょう)は、京都市街地 堀川二条にある江戸時代の平城
北が竹屋町通、南が押小路通、東が堀川通、西が西ノ京式部町に接し、
その周囲は幅が約10~20mの堀に囲まれている
かつて平安京の大内裏の南東端と、その南の禁園跡とにまたがる場所にあり
敷地は、東西約500m、南北約400mのほぼ矩形になっている
総面積 約27.5万m2
建物面積 約8,000m2
1939年(皇紀2599)昭和14年11月30日
「旧二条離宮(二条城)」の名で、二条城の外堀を囲む道路も含めて二条城全域が国の史跡に指定される
二の丸御殿の6棟が国宝
22棟の建造物と計954点の障壁画が重要文化財に指定されている
二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている
桃山時代の武家屋敷風書院造の代表的な遺構
1624年(皇紀2284)寛永元年から
徳川家光が、後水尾天皇の行幸を迎えるため、大改築が始まった
二の丸の中心的建造物で、東大手門から見て、正面の右斜め前方向に建つ
築地塀で囲まれていて、堀の南側に唐門がある
二の丸御殿は、玄関口の手前から順に、
・遠侍(とおざむらい)・御車寄(おくるまよせ)(国宝)
・式台(しきだい)(国宝)
・大広間(国宝)
・蘇鉄之間(国宝)
・黒書院(くろしょいん)(国宝)
・白書院(しろしょいん)(国宝)
と称される国宝の6つの建物が、東南から西北にかけて斜めにずれたように雁行(がんこう)して建ち、
廊下で結ばれて、大小の破風や屋根が重なり合って一体となっている
1939年(皇紀2599)昭和14年10月28日 10棟が重要文化財に指定される
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 重要文化財のうち6棟が国宝に指定される
建物面積 3,300m2、部屋数 33、畳 約800畳
主要な部屋には、上段の間があり、書院造の格式である床・棚・書院・帳台構がある
各部屋とも狩野探幽・狩野尚信・狩野興以による障壁画や襖絵が部屋の目的によって描かれ、絢爛豪華である
欄間の彫刻や、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなど、あざやかな金飾が施されている
廊下は、床板を踏むと音がする「うぐいす張り」になっている
「うぐいす張り」は、床板が踏まれると「目かすがい」が上下して釘がすれ合って音がするようになっている
書院では、将軍が対面を行う場所として、諸大名の席次が厳格に定められる
大広間の西側、黒書院の南側に、日本庭園がある
本丸は、内濠に囲まれた約18,000m2(約5,200坪)の部分
<天守閣跡>
<玄関(げんかん)(重要文化財)>
<御書院(ごしょいん)(重要文化財)>
<御常御殿(おつねごてん)(重要文化財)>
<台所及び雁之間(だいどころ・がんのま)(重要文化財)>
<縄張形式>
<本丸櫓門(ほんまるやぐらもん)(重要文化財)>
<東南隅櫓(とうなんすみやぐら)(重要文化財)>
<東南隅櫓北方多門塀(とうなんすみやぐらほっぽうたもんべい)(重要文化財)>
<西南隅櫓(せいなんすみやぐら)(重要文化財)>
<東大手門(ひがしおおてもん)(重要文化財)>
<北大手門(きたおおてもん)(重要文化財)>
<西門(にしもん)(重要文化財)>
<番所>
<桜山門(ももやまもん)(重要文化財)>
<南仲仕切門(みなみなかじきりもん)(重要文化財)>
<北中仕切門(きたなかじきりもん)(重要文化財)>
<鳴子門(なるこもん)(重要文化財)>
<旧二条城の石垣>
<土蔵(どぞう)(米蔵(こめぐら))(重要文化財)>
<土蔵(北)(米蔵)(重要文化財)>
<土蔵(南)(米蔵)(重要文化財)>
<二条城撮影所跡>
<二の丸御殿庭園(特別名勝)>
<本丸御殿庭園>
<清流園>
<梅林>
<桜の園>
2006年度の公開予定
2月1日から3月12日
テーマ:冬の情景 黒書院と白書院の障壁画の一部
黒書院の障壁画の原画は14年ぶりに公開される
三の間の「松図」は修復が完了したもの
将軍の居間に使用された白書院二の間の「西湖図」は、中国の名勝地を描いた水墨画
など
3月24日~4月16日
桜や二の丸御殿などのライトアップ
4月15日~5月14日
テーマ:桜と牡丹 黒書院花の障壁画
5月20日~7月9日
テーマ:威厳と静謐(せいひつ) 松孔雀図と山水図
10月7日~11月26日
テーマ:秋の景物 初公開武者隠しの障壁画
2007年1月20日~3月11
テーマ:桃山の遺風 大広間四の間「松鷹図」障壁画
<旧二条城>
織田信長が将軍 足利義昭のために造営した二条城
「二条御所跡」と称される
<義演准后日記>
醍醐寺三宝院座主 義演の日記
二条城の築城のときの町家の立ち退きの様子などが記されている