堀川通(ほりかわどおり)(Street of Horikawa)

堀川通(ほりかわどおり)は、京都市街地中央部の南北の幹線路

所在地:京都市北区・上京区・中京区・下京区

北端:鴨川堤の賀茂街道(北区紫竹上堀川町)   地図情報
南端:東海道本線交差部北(下京区西油小路町)(油小路通とつながる)   地図情報

東西:油小路通大宮通の間の通り(間に小路あり)

平安京:堀川小路
旧称:西堀川通

 堀川通(ほりかわどおり)は、京都市街のほぼ中央部を南北に流れる堀川の西側の大通り

 かつては、堀川をはさんで、「東堀川通」と「西堀川通」があり、それぞれ同じ道幅があった

【堀川通】

 北端は、鴨川堤の賀茂街道と交差している

 堀川紫明で、紫明通が合流してきて、幅広い中央分離帯がある幹線道路となる

 堀川今出川から堀川御池は、堀川が地上に現れ、東堀川通が対岸に沿って走っている

 五条通から南は、国道1号線となる

 堀川七条で、堀川は、暗渠のまま西にそれ、その上を西堀川通が走る

 堀川通は、東海道本線交差部北で、一つ東側の油小路通が合流してきて、名前が「油小路通」に変わる

 1895年(皇紀2555)明治28年9月24日〜1961年(皇紀2621)昭和36年8月1日
 東堀川通の堀川中立売から四条堀川まで京都電気鉄道の電車が走っていた

 第二次世界大戦時
 西堀川通は、防火帯として沿道の家屋が強制疎開させられ、
 戦後の都市計画で拡幅、延長され幹線道路となった


【主な沿道の施設】

 <堀川
 北区から、ほとんどの部分が暗渠となっている河川で、南区で鴨川に流れ込む
 今出川通から御池通までの区間が、地上に出ている
 かつては西陣織の染色に利用されていた
 平安京が造営される時に、現在の鴨川につけかえられたという説もある

 <京都晴明神社堀川参道>
 西堀川通上長者町から西堀川通下立売までの商店街
 平安京以来
 堀川に沿って、中立売通・下立売通、魚問屋上之棚(椹木町通)、長者町筋など、都の商工業地帯を形成してきた

 明治時代
 商店や職人の店、寄席・映画館・飲食店などもでき、さらに発展する
 昭和時代初期
 堀川京極として栄える
 1945年(皇紀2605)昭和20年
 防火帯の強制疎開により取り壊されてしまう
 1951年(皇紀2611)昭和26年
 日本最初の公営店舗付住宅として、現在の堀川商店街が再建される
 春と秋には恒例で「堀川まつり」が開催される

 <賀茂街道>
 <高麗美術館
 <北山通>

 <北大路通>
 <紫式部墓所
 <小野篁卿墓
 <島津製作所>

 <紫明通
 <鞍馬口通
 <瑞光院>
 <後花園天皇火葬塚
 <大應寺
 <妙覚寺
 <水火天満宮
 <興聖寺

 <教蔵院
 <成逸小学校の碑
 <本法寺
 <妙蓮寺
 <茶道資料館>
 <不審庵
 <今日庵
 <慈受院門跡
 <宝鏡寺
 <寺ノ内通>

 <山名宗全邸宅跡
 <西陣舟橋
 <白峯神宮
 <今出川通

 <西陣
 <西陣織会館
 <晴明神社
 <一条戻橋
 <堀川第一橋
 <古義堂
 <丸太町通>

 <橋本左内寓居跡
 <松永昌三講習堂跡
 <堀河天皇里内裏跡
 <二条城
 <二条通

 <堀川御池
 <御池通
 <御供社
 <醒ヶ井通
 <本能寺跡

 <四条通
 <観音寺
 <住吉神社
 <三善清行邸跡
 <真如院
 <山本亡羊読書室旧蹟
 <長覚寺
 <さめがいの水
 <五条通堀川五条

 <左女牛井之跡
 <西本願寺
 <興正寺
 <七条通>

 <文房四神之碑
 <芹根水
 <塩小路通>
 <道祖神社
 <不動堂明王院
 <新選組洛中最後の屋敷跡
 <JR京都線>
 <油小路通
 <新幹線>


堀川通の七不思議

 <一条戻橋
 晴明神社から堀川通を約100m南へ下がったところの橋

 <梅ヶ枝の手水鉢>
 西堀川通木津屋橋角

 <芹根水
 西堀川通木津屋橋角に碑が残る
 平安時代から霊水といわれ、京の七名水の一つでもあった


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