井伊直弼(いいなおすけ)(Naosuke Ii)

江戸時代後期の譜代大名で、近江彦根藩の第15代藩主、幕末維新の大老

生年:1815年(皇紀2475)文化12年10月29日
没年:1860年(皇紀2520)安政7年3月3日
享年:46

父親:近江彦根藩第13代藩主 井伊直中
十四男
母親:側室 君田富(お富の方)

幼名:鉄之介(てつのすけ)、後に鉄三郎(てつさぶろう)
諱:直弼(なおすけ)
雅号:埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、柳和舎(やぎわのや)、宗観(そうかん)、緑舎、無根水(むねみ)
渾名:井伊の赤鬼(いいのあかおに)

近江彦根藩の第15代藩主
官位:正四位上
江戸幕府:大老

出身:近江国犬上郡(現在の滋賀県彦根市金亀町)
墓所:豪徳寺(東京都世田谷区)

 井伊直弼(いいなおすけ)は、江戸時代後期の譜代大名で、近江彦根藩の第15代藩主、幕末維新の大老

 幕末維新の江戸幕府にて大老を務め、開国派として日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した

 強権で反対勢力を粛清し(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)

【井伊直弼の歴史・経緯】

【文化人 井伊直弼】

 <国学・歌道
 長野義言(ながのよしとき)の弟子となる


 <茶の湯
 茶会記「彦根水屋帳」「東都水屋帳」などによると
 弟子となった家臣たちと茶会を開き、茶の湯の実践を重ねる
 1845年(皇紀2505)弘化2年10月
 31歳、茶道の「入門記」を著して、石州流(せきしゅうりゅう)一派を立てる

 主な著作
 「炭の書」「灰の書」 具体的な点前の方法を解説している

 「閑夜茶話」茶の湯の歴史を解説している

 「茶湯一会集」茶の湯論の集大成、茶会での心構えを説く
 一期一会、独座観念、余情残心など茶の湯の神髄が記されている


 <
 能面作りにも没頭したといわれる
 作品「筑摩江(つくまえ)」は、琵琶湖を舞台とし、祝言の色濃い


 <狂言
 作品2曲が、彦根藩お抱え狂言師 茂山千五郎に与えられる
 「鬼ヶ宿(おにがやど)」
 「狸の腹鼓(俗称「彦根狸」)」

【井伊直弼ゆかりの人物】

 <八代 中村宗哲
 井伊直弼の好みの茶道具などを作製する


 <茂山千五郎家
 九世 茂山千吾正乕(まさとら)が近江国江州出身という縁から、近江国彦根藩主 井伊直弼に召し抱えられる
 このとき、井伊直弼が、「千吾」を「千五郎」と聞き間違ったことで当主名が「千五郎」となり、茂山千五郎家が確立する
 井伊直弼の作品「鬼ヶ宿(おにがやど)」が与えられる


 <村山たか女
 埋木舎に住んでいたころに出会った愛妾
 後に、隠密(スパイ)として、芸妓の経験を活かし、尊王攘夷派・倒幕派の情報収集にあたった

【ゆかりの地】

 <清凉寺
 幼少期に禅学などを学び始める


 <金福寺
 村山たか女が晩年を過ごしたところ
 村山たか女が、死ぬまで大切にしていた井伊直弼直筆の和歌の書かれた掛け軸がある
  「柴の戸の しばしと云(い)いて もろともに いざ語らわん 埋火(うずみび)のもと」(井伊直弼)


 <井伊美術館(東山区)>
 井伊直弼が、彦根藩の反対により会えなくなった、村山たか女へ宛てた想いが綴られている手紙が発見されている


 <彦根藩邸跡

【その他】

 <舟橋聖一著「花の生涯」>
 井伊直弼を主人公にして、その波乱の生涯を描いている歴史小説
 村山たか女もヒロインとして描かれている
 たびたび映画・ドラマ・舞台化がされている


 <即宗院
 即宗院裏の採薪亭跡は、清水寺成就院の勤王僧 月照と西郷隆盛とが、大老 井伊直弼を倒すために密議を行ったところ
 西郷隆盛が隠れ住み、幕末維新の舞台となった


【京都検定 第1回3級】

48.幕末に、京都の狂言界で活躍し茂山千五郎家を立てた茂山正乕を援助したのは誰か?

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第12回2級】

【京都検定 第14回2級】

【京都検定 第23回2級】

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