陸軍第十六師団跡は、伏見区深草を、陸軍の創設にあたった大村益次郎が陸軍用地とて候補地とした所で、
日本最古の陸軍用地といわれる
観月橋の北の、幕府伏見奉行所跡に、明治維新直後から置かれ、
伏見工兵第十六大隊として、第四師団(大阪)に属していた
日露戦争の末期
1908年(皇紀2568)明治41年11月16日
陸軍の兵力増強の一環として、第十六師団が増設される
<師団街道>
京都市街地と駐屯地を結ぶ道路の整備が行われ、
鴨川運河(琵琶湖疏水)の西側を南北に走る道路
一帯には、歩兵、騎兵、砲兵、輜重兵(しちょうへい)、工兵の各連隊が配置される
兵器庫、衛兵病院などもあった
<陸軍第十六師団司令部>
1907年(皇紀2567)明治40年の竣工
奈良街道沿いにある
赤煉瓦造、二階建て、銅板葺き
現在は、聖母女学院本館として使用されている
<軍道>
師団街道から第十六師団司令部の位置する東に向けて、第一から第三まで道路が造られる
現在も、疏水をまたぐ橋の橋脚に、陸軍の星のマークがある
「第一軍道」と記された道路標識も、戦争史跡として残されている