宇治川(うじがわ)は、琵琶湖から、京都盆地の南部を流れる川
淀川水系の中流部の名称で、
上流を「瀬田川」、
宇治市から京都市伏見区までを「宇治川」、
桂川と木津川との合流点から下流を「淀川」と称して、大阪湾に流れる
京都市の川はほとんどが、桂川に流れ込み、山科川が、宇治川の唯一の大きな支流となる(宇治市にはいくつかの支流がある)
<天ヶ瀬ダム>
宇治川上流部
1964年(皇紀2624)昭和39年
洪水を防ぐことを目的に建設され完成する
天ヶ瀬ダム下流の山間部には、オイカワ・ハス・アユ・マナマズなどが多く生息している
<宇治橋>
日本三古橋の一つ
646年(皇紀1306)大化2年
南都 元興寺の僧 道登が、勅願により宇治橋を架けるときの守護神として、
宇治川上流の櫻谷に鎮座していた瀬織津姫神を勧請し、宇治橋の三ノ間の張り出し部分に橋姫神社を創建した
豊臣秀吉が、三ノ間から茶の湯の水を汲ませたといわれる
<中の島>
宇治橋の南の細長い「橘島」と「塔の島」の2つの島を合わせて「中の島」と称される
塔の島には、放生院(橋寺)の十三重石塔が建っています
鵜飼舟や観光船の船着場がある
瀬田川、宇治川を主生息地とするナカセコカワニナがいる
<向島>
ヨシ、オギの大群落
オオヨシキリの繁殖地、ツバメの集団ねぐらとなっている
<三栖閘門>
1929年(皇紀2589)昭和4年
宇治川と伏見城外堀の濠川(ほりかわ)とを結ぶ舟運のための水位を調整するために建造される
1960年代、淀川の貨物船の運行が終り、伏見港も埋め立てられる
現在は、河川公園として整備され、閘門を操作していた建物を再現した資料館がある
<観月橋>
鎌倉時代末期
月見のために巨椋池に浮かぶ島に渡るための「桂橋」だった
豊臣秀吉により宇治川が付け替えられ、新しい宇治川に「豊後橋」と名前を変え付けられる
鳥羽・伏見の戦いで焼失
1873年(皇紀2533)明治6年
新橋が完成し、月見の故事にちなんで「観月橋」と名付けられる
<平等院(世界文化遺産)>
当初は、観音堂などが直接、宇治川に面して建っていた
<宇治上神社(世界文化遺産)>
宇治川の対岸に、平等院と向かい合うように建つ
<宇治神社>
対岸の平等院の鎮守社
<放生院(橋寺)>
聖徳太子の時代から宇治橋の管理をしていた守り寺
<橋姫神社>
宇治橋の守護神 瀬織津姫神が祀られている
<縣神社>
宇治の産土神を祀り、平等院の鬼門にあたる