永運院(えいうんいん)は、金戒光明寺の塔頭
金戒光明寺の御影堂から西側(左側)への参道の一番奥の角にある
江戸時代末期に、永運院・浄専院・妙蓮院の3つの塔頭が合併し、
そのぞれの本尊だった阿弥陀如来が3体祀られている
<山門(京都府登録文化財)>
一間薬医門、本瓦葺
1983年(皇紀2643)昭和58年4月15日 京都府登録文化財に登録
<本堂(方丈)(京都府登録文化財)>
入母屋造、桟瓦葺
江戸時代初期
金戒光明寺の再建のときの奉行 宮城豊盛(みやぎとよもり)が妙蓮院を創建したとき本堂として建立したもの
内陣の中央に本尊 阿弥陀三尊像、左側に阿弥陀如来立像、右側に阿弥陀如来坐像を祀られている
1983年(皇紀2643)昭和58年4月15日 京都府登録文化財に登録
<地蔵祠>
山門・築地塀の外側、山門の奥に建てられている
<寺号 石標「永運院」>
山門の前に立てられている
書家 川尾朋子の揮毫
<永運院文書(京都市指定文化財)>
豊臣秀吉や徳川家康に仕え、金戒光明寺の再建のときの奉行 武将 宮城豊盛宛ての書状など
黒田孝高や小西行長などの武将の名も見られる
2000年(皇紀2660)平成12年
襖絵を修復したときに、下張りから発見された