法常寺(ほうじょうじ)は、亀岡の西部、畑野町の谷合を通っている府道731号線から山道を登っていくところにある寺院
江戸時代初期の後水尾天皇の勅願寺であり、開山 一絲文守と後水尾天皇に関する古文書が残る
谷合を見下ろす山腹にあり、京都府指定文化財環境保全地区に指定されており、巨樹が生い茂り、紅葉の名所
江戸時代初期
1632年(皇紀2292)寛永9年
紫衣事件の混乱を避けて都を離れていた臨済宗の僧 一絲文守(いっしもんじゅ)(諡号 仏頂国師)が、
この地を訪れ、草庵を創建する
1634年(皇紀2294)寛永11年
草庵に道場を建て「桐江庵(とうこうあん)」と称する
1641年(皇紀2301)寛永18年
桐江庵の北に、後水尾上皇の発願により、御所の宮殿が下賜され堂宇が整えられ、
一絲文守を開山として「法常寺」とされる
以後、歴代皇室、近衛家などの崇敬を受けた
1643年(皇紀2303)寛永20年
この地に11年間住んでいた一絲文守が、近江の永源寺80世となり永源寺を中興する
1646年(皇紀2306)正保3年
一絲文守が亡くなる
1666年(皇紀2326)寛文6年
後水尾上皇より「法常寺」の勅額が贈られる
1877年(皇紀2537)明治10年
焼失する
境内は山腹にある。かつて谷に土を盛り、高い石垣を築き、谷川に石橋を渡して伽藍が建てられた
法常寺は南に谷合を見下ろす山腹にあり、その奥の向かいの峰々と向き合っている
<谷川に架かる石橋>
<石段参道>
<石垣>
<仏殿(本堂)(亀岡市指定文化財)>
1744年(皇紀2404)延享元年の建立
鐘楼が、仏殿一体となって立てられている珍しい鐘楼
<開山堂>
寛政年間(1789年〜1801年)の建立
<勅使門>
急峻な石段上には「勅使門」が建ち、後水尾上皇宸筆の勅額「大梅山」が掛る
<庫裏>
<枯山水式の庭園(京都府指定名勝)>
仏殿前にある
谷を削った際に現れたという巨大な一枚岩が置かれている
巨木と、鉤状の延段、丸刈の植栽などにより構成されている
<石標「後水尾天皇勅願寺」>
<石標「不許葷酒入山門」>
<京都府指定文化財環境保全地区>
境内が指定されている
高野槇の巨木(亀岡市指定天然記念物)
ゴヨウマツ(亀岡市の名木)
杉の巨木
楓による紅葉の名所
歴代天皇により下賜された御物(ぎょぶつ)、古文書、美術品などを所蔵している
<後水尾天皇宸翰一絲和尚山居詩並御次韻和歌(重要文化財)>
開山の一絲文守が詠んだ十首の詩に、後水尾天皇が次韻の和歌を添えて返したもの
次韻とは、漢詩の和韻の一体であり、詩と同じ韻字を同じ順序に作詩される
11年間にわたる交流により、後水尾天皇は、一絲文守への帰依を深め、
紫衣事件の後の混乱を避けて都を離れた一絲文守の帰洛を要請している
<一絲文守関係資料 一括337点(京都府指定文化財)>
<釈迦如来坐像>
後水尾天皇の皇后 東福門院の寄進によるもの
<後水尾天皇宸筆勅額>
勅使門に掲げられている