覚信尼(かくしんに)(Kakushinni)

鎌倉時代浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の末娘

生年:1224年(皇紀1884)元仁元年
没年:1283年(皇紀1943)弘安6年11月24日
享年:60

父親:親鸞聖人浄土真宗の宗祖)
母親:恵信尼
夫:日野広綱
再婚:小野宮禅念

俗称:王御前(わうごぜん)

出身:常陸国

 覚信尼(かくしんに)は、鎌倉時代浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の末娘

 直弟子 顕智らの協力を得て、東大谷に廟堂(大谷廟堂)を建立した

 自らは留守職(るすしき)となって本願寺の基礎を築いた

【覚信尼の歴史・経緯】

【本願寺の由来】

 1262年(皇紀1922)弘長2年11月
 親鸞聖人が死去される
 親鸞聖人は、鳥辺野の北、東山大谷の地に石塔が建てられ遺骨を納め、周囲に木棚をめぐらした簡素な墳墓に葬られる

 1272年(皇紀1932)文永9年
 覚信尼が、親鸞聖人の墳墓を改葬し、再婚した小野宮禅念の所有の土地を寄進して、
 大谷の西、吉水(よしみず)の北方に六角の廟堂「大谷廟堂」を建立し親鸞聖人の影像(えいぞう)を安置した

 覚信尼が、大谷廟堂の守護をする留守職(るすしき)となる
 以後、大谷廟堂の留守職に、覚信尼の娘 覚恵上人、次に孫の覚如上人の第3代が就任した

 これにより、本願寺の基礎となる

【覚信尼ゆかりの地】

 <西本願寺
 開基:覚信尼
 親鸞聖人の末娘 覚信尼が、親鸞聖人の遺骨を安置する大谷廟堂を創建したのが由来


 <西大谷
 覚信尼が、親鸞聖人の遺骨を現在の知恩院 山門北側の崇泰院付近に改装され、
堂を建てて影像を安置したことが由来
 この廟堂は、「大谷影堂」と称され、のちに「大谷本願寺」となる


 <崇泰院
 親鸞聖人入滅より10年後、覚信尼が、大谷廟堂(おおたにびょう)を創建し親鸞聖人の遺骨を改葬したところ


 <日野家廟所
 中央の五輪塔が浄土真宗開祖の親鸞聖人の父親 日野有範のお墓といわれる
 傍らに、親鸞聖人の母親の吉光女(きっこうにょ)・覚信尼のお墓もある


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