知恩院(ちおんいん)は、浄土宗の宗祖 法然上人が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院
法然上人が、初めて教えを説いた念仏の聖地
江戸時代以降に、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の3代の将軍により、現在のような大規模な伽藍が建立された
徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、京都の人々からは親しみを込めて「知恩院さん(ちよいんさん)」と称されている
桜の名所、紅葉の名所
現在の知恩院の境内は、江戸時代になって、浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたもので、
大小100棟以上の建物からなる
境内、約73,000坪
三門や塔頭寺院のある下段、
本堂(御影堂)など中心伽藍のある中段、
勢至堂、法然上人廟などのある上段の3つに分かれている
上段は、開創当初の寺域であり、
中段、下段の大伽藍は、江戸時代になって徳川幕府の全面的な援助で新たに造営されたもの
御影堂・三門の2棟が国宝、他に9棟が重要文化財に指定されている
<既成院>
<源光院>
<浩徳院>
浄土宗近畿地方教化センター・浄土宗京都教区教務所
<入信院>
浄土宗総本山勧学本場
<良正院>
徳川家康の娘 とく姫「良正院」の追善のために創建される
<崇泰院>
浄土真宗の開祖 親鸞聖人の御影像を安置された大谷本廟の起源となった地で、本願寺発祥の地
<光玄院>
<樹昌院>
<源光院>
<信重院>
<保徳院>
<先求院>
<松宿院(松風天満宮)>
<光照院>
<一心院>
<紙本著色 法然上人絵伝(詞伏見天皇外七筆)48 巻(国宝)>
「法然上人行状絵図」とも称される法然上人の絵巻物
法然上人の誕生から入寂までの生涯や事蹟、法話や著述、
門弟や帰依した天皇・公家・武家などの人たちの事績、民衆の姿なども含まれる
1307年(皇紀1967)徳治2年から
法然上人の死後約100年ほど経ったのち、後伏見上皇の勅命によって
比叡山功徳院の舜昌法印(知恩院九世)が10数年費やして制作されたといわれる
詞書(ことばがき)は伏見天皇や、皇族や貴族らにより記されている(七筆)
絵は、土佐吉光(とさよしみつ)ら土佐派の絵師によって、華やかな大和絵が描かれている
書写されたものも、いくつかの寺院に残っており、江戸時代には木版も発行され広く普及した
1955年(皇紀2615)昭和30年2月2日 国宝に指定
<絹本著色 阿弥陀二十五菩薩来迎図(あみだにじゅうごぼさつらいごうず)1幅(国宝)>
鎌倉時代後期の仏画
高くそびえ立つ山岳を越えて、観音菩薩・勢至菩薩を先頭に阿弥陀如来や諸聖衆が、
往生者のいる館に来迎する様子が描かれている
館の机上には法華経が置かれ、空中に夢幻的な宝楼閣や多数の化仏が表わされた「上品上生図」
速やかな来迎を願った鎌倉時代の人々の願望が表され、
速度感あふれる来迎雲が描かれ「早来迎(はやらいごう)」とも称される
桜や滝をあしらった彫りの深い山水が描かれている
1955年(皇紀2615)昭和30年2月2日 国宝に指定される
<綾本著色 毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)1幅(重要文化財)>
北方神の四天王である多聞天が、足下に邪鬼を踏み、四体の薬叉がとり囲む様子を描く
絵絹ではなく、綾(りょう)に描かれた珍しい作
冠や宝塔、甲胃には、金銀箔が多用され、温雅な色合いで平安仏画風の優美さがある
鎌倉時代の作といわれる
1903年(皇紀2563)明治36年4月15日 重要文化財に指定される
<絹本著色 阿弥陀浄土図(あみだじょうどず)1幅(重要文化財)>
阿弥陀三尊の立像の上に雲にのる仏菩薩や、下には蓮池が描かれている
池の中から伸びる蓮台に、ひざまずいて阿弥陀如来を拝礼する九人の九品往生も描かれている
池の周りには、孔雀や鶴などが描かれ、花鳥画のようでもある
淳熙十年の年記がある
1183年(皇紀1843)寿永2年の作
1959年(皇紀2619)昭和34年6月27日 重要文化財に指定される
<本著色 五百羅漢図(ごひゃくらかんず)一幅(重要文化財)>
朝鮮 高麗時代のもの
2024年(皇紀2684)令和6年 重要文化財に指定される
<十王図>
亡者は、死後三年の間、冥界の各王庁を回り、生前の善悪行を審判された後、
来世が決められるとされる信仰がもとになり、各幅に、裁判官姿の王と書記官、獄卒、亡者と
その救済を願う供養者らの姿が描かれている
初七日:秦広王、二七日:初江王、三七日:宋帝王、四七日:五官王、
五七日:閻魔王、六七日:変成王、七七日:泰山王、百日:平等王、
一年:都市王、三年:五道転輪王の順に回る
この間に、子孫や縁者により供養されれば、罰を祓われて浄土に往生できるとされ、盛んに十王図が作られた
上部に「慶元府車橋石板巷陸 信忠筆」と記されており、「慶元府」は、中国 宋の末期の浙江寧波の地名で
そこで仏画師として活躍していた陸信忠の筆とされる
<木造 徳川家康坐像(とくがわいえやすざぞう)1躯(重要文化財)>
御影堂の西の間に安置されている徳川家康の坐像
束帯姿に佩刀(はいとう)し、右手に笏(しゃく)を持って威儀を正した姿
江戸時代初期、仏師 康猶(こうゆう)の作
2014年(皇紀2674)平成26年8月21日 重要文化財に指定される
<木造 徳川秀忠坐像 1躯(重要文化財)>
御影堂の西の間に安置されている徳川秀忠の坐像
束帯姿に佩刀(はいとう)し、右手に笏(しゃく)を持って威儀を正した姿
1620年(皇紀2280)元和6年
徳川秀忠が、仏師 康猶に造らせた自らの等身坐像
<上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)1巻(国宝)>
聖徳太子の伝記で、現存する唯一の写本
5つの部分から構成されている
平安時代後期のもの
1955年(皇紀2615)昭和30年2月2日 国宝に指定される
<大楼炭経(だいろうたんきょう)巻第三 1冊 (国宝)>
中国 唐時代(673年)に書写されたもの
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 国宝に指定される
<菩薩処胎経(ぼさつしょたいきょう)5帖(国宝)>
仏陀の入涅槃の前後を題材とし、母胎内において10ヶ月間説法をするという経典
第1帖は平安時代後期、第5帖は奈良時代の書写
あと3帖は、中国 西魏時代 大統16年(550年)に書写されたもの
「魏大統十六年陶仵虎願経」とある
知恩院所蔵の古写経の中でも特に古く、世界最古に近いといわれている
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 国宝に指定される
<宋版一切経(そうはんいっさいきょう)5,969帖(重要文化財)>
一切経は、その時代に知られている全ての経典を集めたもの
中国 北宋末から南宋にかけて、福建省福州の開元寺や東禅寺で開板されたもの
1965年(皇紀2625)昭和40年5月29日 重要文化財に指定される
<鴬張りの廊下>
<白木の棺>
<忘れ傘>
<抜け雀>
<三方正面真向の猫>
<大杓子>
<瓜生石>
<御忌大会(ぎょきだいえ)>
4月18日〜25日
法然上人の命日から行われる、法然上人の遺徳を偲ぶ忌日法要
知恩院で一番大きなかつ重要な法要
法然上人が亡くなった後、その忌日に法然上人の門弟たちが行った「知恩講」が由来
1524年(皇紀2184)大永4年
後柏原天皇より「知恩院にて法然上人の御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」が出される
18日午後から25日午前中までの8日間
晨朝・日中・逮夜、日に3回の法要が行われる
御忌大会初日18日20時から翌朝7時まで
「ミッドナイト念仏 in 御忌」として、夜を徹して三門の楼上で木魚を打ち念仏を称える
<放生会>
10月15日、鎮守八幡社にて行われる
<世界平和念仏>
2003年(皇紀2663)平成15年
浄土宗では、開祖 法然房源空の命日にちなみ、毎月25日を世界平和を願って念仏を唱える日と制定する
2006年(皇紀2666)平成18年1月25日
世界平和念仏の日制定3周年を記念して、御影堂(みえいどう)で法要が行われる
普段は年越しのときにしか鳴らされない釣り鐘が、僧侶17人がかりで18回突いて、1回突くごとに「南無阿弥陀仏」の
念仏が唱えられた
<晨朝法要(じんじょうほうよう)>
浄土真宗において毎朝行われる勤行
「晨朝」とは、卯の刻(午前6時頃)のこと
阿弥陀経などの読誦や法話が行われる
「おあさじ」「あさじ」「おじんちょう」とも称される
<(過去)東山花灯路>
3月上旬
東山山麓の、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.6kmに
露地行灯が約2,400基設置された
知恩院では、三門(国宝)のライトアップが行われ黄金色に輝いていた
<智慧の道>
東大路通から知恩院、法然上人御廟や、永観堂へ向かう道
仏さまの智慧(ちえ)を頂いて、、老若男女すべての人が正しく仲良く生きることに通じる道といわれる
<法然上人二十五霊場第二十五番 御詠歌>
「草も木も 枯れたる野辺に ただ一人 松のみ残る 弥陀の本願」
<京都博覧会>
京都の景気回復と啓蒙を目的とした博覧会
1872年(皇紀2532)明治5年3月
西本願寺、建仁寺、知恩院を会場として80日間の博覧会が開催される