森鴎外(もりおうがい)(Mori Ougai)

森鴎外(もりおうがい)は、明治・大正期の陸軍軍医、官僚、小説家、評論家、劇作家、翻訳家

本名:森林太郎(もりりんたろう)

生年:1862年(皇紀2522)文久2年2月17日
没年:1922年(大正11年)7月9日

出身:石見国津和野(現在の島根県津和野町)

位階勲等:従二位・勲一等・功三級
医学博士・文学博士

別称:観潮楼主人

 森鴎外(もりおうがい)は、明治時代・大正時代の陸軍軍医、官僚、小説家、評論家、翻訳家、劇作家

 陸軍軍医のかたわら多彩な文学活動を行い、夏目漱石と並ぶ文豪といわれる

【森鴎外の歴史・経緯】


【森鴎外の主な作品】

 <舞姫(まいひめ)>
 1890年(皇紀2550)明治23年1月、「国民之友」

 <ヰタ・セクスアリス>
 1909年(皇紀2569)明治42年7月、「スバル」

 <雁(がん)>
 1911年(皇紀2571)明治44年9月−1913年(皇紀2573)大正2年5月、「スバル」

 <阿部一族(あべいちぞく)>
 1913年(皇紀2573)大正2年1月、「中央公論」

 <山椒大夫
 1915年(皇紀2575)大正4年1月、「中央公論」
 丹後が舞台となっている
 「宮崎が舟は廻り廻って、丹後の由良(ゆら)の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構えて、
田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、
何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒大夫という分限者がいて、人なら幾らでも買う。・・・・」

 <高瀬舟
 1916年(皇紀2576)大正5年1月、「中央公論」
 高瀬川が舞台となる

 <寒山拾得(かんざんじっとく)>
 1916年(皇紀2576)大正5年1月、「新小説」


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