服部宗巴(はっとりそうは)(Souha Hattori)

江戸時代前期の能役者ワキ方

生年:1609年(皇紀2269)慶長14年
没年:1673年(皇紀2333)寛文13年5月22日
享年:65

父親:服部栖元(観世流シテ方九世 観世黒雪の弟)

本姓:服部
初名:重正
通称:茂兵衛、神右衛門
号:清閑斎

福王流五世 福王盛親(ふくおう もりちか)

京観世の祖

 服部宗巴(はっとりそうは)は、江戸時代前期の能役者ワキ方

 福王流五世 福王盛親(ふくおう もりちか)となり、素謡(すうたい)をから独立させて専門で教えた

 観世流宗家が徳川幕府に仕えるため江戸に下ったため、京都で素謡の師範に当たった5家を取り仕切り、京観世の祖とされる

【服部宗巴の歴史・経緯】

【京観世】

 <京観世五軒家
 江戸時代観世流宗家が徳川幕府に仕えるため江戸に下ったため、京都で師範に当たった服部の門弟であった5つの家
 服部宗巴が、観世京屋敷の管理と諸用向きを取り仕切り役を務め、
 次男の服部宗碩(六世 盛信)が跡を継ぎ、
 服部宗碩の死後は、未亡人の智清が取り仕切っていたが、初代 片山九郎衛門が代行するようになり、
 その後は、片山九郎衛門家が仕切り役となる

 <素謡(すうたい)>
 の3つの要素である謡(声楽)・囃子(器楽)・所作(身体動作)のうち、謡部分のみを奏すること
 服部宗巴が、から素謡を独立させたことで、武士・町人たちの間で大流行した


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