古事記(こじき)海幸彦(うみさちびこ)と山幸彦(やまさちびこ)

古事記の神話

掲載:上巻(こじきかみつまき)

著者:太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)(太安萬侶)(おほのやすまろ)

 「海幸彦(うみさちびこ)と山幸彦(やまさちびこ)」のことは、「古事記」の上巻(こじきかみつまき)の本文に記されている

 兄の火照命は海佐知毘古(漁師)、弟の火遠理命は山佐知毘古(狩人)になる
 山佐知毘古は、海佐知毘古の釣針を借りるが、海に落としてしまい、それを探しに海神宮を訪問する
 そこで、豊玉毘売命と出会い、塩盈珠と塩乾珠を授かり、それで火照命を服従させる
 その後、豊玉毘売命がやってきて、火遠理命の子供、鵜葺草葺不合命を産む

【古事記の原文】


【海佐知毘古と山佐知毘古】

 故(かれ)、火照命(ホデリ)は、海佐知毘古(ウミサチビコ)と為て(して)、鰭(はた)の広物(ひろもの)(大きな魚)や
鰭(ひれ)の狭物(さもの)(小さな魚)を取り、
 火遠理命は、山佐知毘古(ヤマサチビコ)と為て(して)、毛の麁物(あらもの)(毛の粗い獣)や
毛の柔物(にこもの)(毛の柔かい獣)を取っていた
 すると、火遠理命が、その兄の火照命に、「各(おのおの)の佐知(さち)(獲物を取る道具)を相易(あひかへて)
(交換して)用いてみよう」と言って、三度乞うた(お願いした)が許されなかった
 然れども、遂に纔(わづ)かに相易ふる(交換する)ことを得た
 そこで、火遠理命が、海佐知(うみさち)を以って魚を釣ろうとしたが、都(かつて)(全く)一匹の魚も得られず、
またその鉤(つりばり)を海に失ってしまった
 それで、その兄の火照命が、その鉤(つりばり)を乞うて(返してもらいたくて)
「山佐知(やまさち)も己之佐知佐知(おのがさちさち)(猟師には獲物を取る道具が必要)、海佐知も已之佐知佐知
(漁師には魚を取る道具が必要)、今は各(おのおの)の佐知を返そう」と言ったとき、
 その弟の火遠理命が、「汝(あなた)の鉤で魚を釣ろうとしたが一匹の魚も得られず、遂に海に失ってしまいました」と
答えて言った
 然れども、その兄は強く返すように徴(はたる)(責めた)
 ゆえに、その弟は、御佩(みかはし)の十拳剣(とつかのつるぎ)を破りて(砕いて)、五百鉤(いほはり)(五百本の釣針)を
作って、償おうとしたけれど受け取らなかった
 また、一千鉤(ちはり)(一千本の釣針)を作って償おうとしたけれど受け取らず、
「猶(なほ)(やはり)その正体(もと)の鉤が欲しい」と言った


 そのようなことで、その弟が泣き患ひて(うれひて)海辺に居ると、塩椎神(シホツチ)が来て、
「虚空津日高(そらつひこ)が、泣き患ひている所由(ゆえん)は何か」と問いた
 「我と兄とで鉤(つりばり)を易へ(換え)た、その鉤を失いました
 そして、その鉤を乞われたので、多くの鉤で償ったけれど、受け取ってもらえず、猶(なほ)(やはり)その本(元)の鉤が
欲しいと言われて、それゆえ泣き患ひているのです」と答えて言った
 すると、塩椎神は、「我(あれ)、汝命(いましみこと)の為(ため)に、善く議(ことはかり)を作(な)さむ」と言って、
すぐに間勝間之小船(まなしかつまのをぶね)(竹籠の船)を造り、その船に乗せて教えるように話す
 「我がその船を押し流したら、差暫(ややしまし)(そのまま)往(いでませ)(進みます)、すると味(うまし)(よい)
御路(みち)が有るでしょから、乃ちに(のちに)その道に乗って往けば(進めば)、魚の鱗の如(ごとく)造られた
宮室(みや)(宮殿)があり、それが綿津見神(ワタツミ)の宮です
 その神の御門(みかど)に到ったら(着いたら)、傍(かたわら)の井戸の上に、湯津香木(ゆつかつら)(清浄な桂の木)が
有ります
 それゆえに、その木の上に坐さば(いれば)、その海神(わたつみ)の女(娘)が見つけて、
相議(あひはかう)(よく計らってくれる)でしょう」と教えた

【海神宮の訪問】

 それゆえに、教えられた隨(まにまに)(通りに)少し行くと、備(つぶさに)(細かいところまで)その言われた如くで、
すぐにその香木(かつら)に登って坐した(いました)
 すると、海神(わたつみ)の女(娘)の豊玉毘売(トヨタマビメ)の侍婢(まかだち)(侍女)が玉器(たまもひ)を持って
水を酌(く)もうとしたとき、井戸に光が有った
 仰ぎ見ると、麗しき壮夫(をとこ)が有り(いて)、甚(はなはだ)(とても)異奇に以為(おも)った
 すると、火遠理命は、その婢(侍女)を見て、水を得て欲しいと乞うた(頼んだ)
 婢(侍女)は、水を酌(く)んで、玉器に入れて貢進(たてまつる)(差し出した)
 すると、水を飲まずに御頸(みくび)(首飾り)の玉を解いて口に含み、その玉器に唾き(つばき)入れた(吐きだした)
 これによって、その玉は器に著(ついて)(くっついて)、婢(侍女)は玉を離すことが得ず(できなかった)
 そこで、玉を著(つ)けた任(まにま)に豊玉毘売命に差し出すと、その玉を見て婢(侍女)に、
「若(もし)や門の外に人が有りや(いるのですか)」と尋ねた
 すると「我が井戸の上の香木(桂の木)の上に人が坐し有り(いて)、甚(いと)麗しき壮夫(をとこ)です
 我が王(きみ)にも益(ま)して、甚(いと)(とても)貴い方です
 それゆえに、その人が水を乞うたので(欲しがったので)、水を奉れば(差し上げたら)、水を飲まずに、
この玉を唾き(つばき)入れたのです
 これを得離たず(離すことができないので)、ゆえに、入れた任に(ままに)将(もち)(持って)来て献りぬ(差し出したのです)」と
答え申し上げた
 そこで、豊玉毘売命は、奇妙に思い、出て見ると、乃ち(のちに)見感(みめ)(一目惚れ)、
目合(まぐはひして)(心を通じ合わせて)、その父に、「吾が門に麗しき人が有り(います)」と申し上げた
 すると、海神(わたつみ)は、自ら出ていって見て、「この人は天津日高(アマツヒコ)の御子の
虚空津日高(ソラツヒコ)だ」と言う
 そしてすぐに、中に率き入り(連れて入り)、美智皮(みちのかは)(アシカの皮)の疊(敷物)を八重(やへ)(重ねて)敷いて、
またその上に、畳(きぬだたみ)(絹の敷物)を八重(重ねて敷いて)、その上に坐せて(座らせて)、百取(ももとり)の
机代(つくえしろ)の物(机の上におかれた多くの贈り物)を具(そなへ)(準備して)、御饗(みあへ)(御馳走)為て(して)、
すぐに、その女(娘)の豊玉毘売と婚(まぐはひ)(結婚)させた
 それゆえ、三年に至るまで、その国に住んだ


 ここにおいて、火遠理命は、その初めの事を思い出して、大きな歎(なげき)(溜息)を一つした
 そこで、豊玉毘売命が、その歎きを聞いて以って(聞いたことで)、
その父に、「三年も住んで雖(いえども)、恒(つねは)(普段は)歎くことも無かったのに、今夜(昨夜)大きな溜息を
一つ為(した)(されました)、若(もし)何かの理由が有るのでしょうか」と申した
 そこで、その父の大神が、その聟夫(むこ)(婿)に問いて、「今旦(けさ)(今朝)、我が女(娘)の語(話)を聞いたところでは、
三年も坐(まして)雖(いえども)、恒(つねは)(普段は)歎くことも無かったのに、今夜(昨夜)は大きく歎かれたが、
若(もしや)理由が有るのか、また、此間(ここ)に到った(やって来た)理由は奈何(いかに)」と尋ねた
 すると、その大神に、備(つぶさに)その兄が失った鉤(つりばり)を罸(はたりし)(取り立てた)状(さま)(様子)を語った
 それに以って(よって)、海神は、悉(ことごとく)海の大小魚(おほきちひさきうを)を召(よび)集めて、
「若し(もし)その鉤(つりばり)を取った魚が有る(いる)のか」と尋ねた
 すると、諸の魚たちは、「頃者(このごろ)、赤海魚(あかたひ)(赤鯛)が喉にノギ(魚の骨)が於(ささって)、
物が食べられないと愁(うれいて)います、それなので、必ず(きっと)これが取ったのでしょう」と申し上げた
 それで、赤海魚の喉を探すと、鉤が有った

【塩盈珠と塩乾珠】

 すぐに取り出して洗い清め、火遠理命に奉りし(差し出した)ときに、その綿津見大神が、誨(おしへて)(教えるように)、
「この鉤(つりばり)をその兄に給はむ(渡す)時に、
『この鉤は、淤煩鉤(おぼち)(心がおぼつかない釣り針)、須須鉤(すすち)(心がおどりくるう釣り針)、
貧鉤(まぢち)(貧乏になる釣り針)、宇流鉤(うるち)(愚かな釣り針)』と言状(のりたまわみ)(呪文をとなえ)て、
後手(しりへで)(呪術の行動)で賜へ(渡しなさい)
 然し(しかし)、その兄が高田(あげた)(高いところの田)を作ったら、汝命(いましみこと)(あなた)は
下田(くぼた)(低いとこの田)を営(つくり)(作り)なさい
 その兄が下田を作ったら、あなたは高田を営(つくり)(作り)なさい
 然為たば(そうすると)、吾(あれ)(私)が水を掌(つかさど)っているので、3年間で、必ず(きっと)その兄は
貧窮(まずしく)なるでしょう
 若し(もし)それ然為たまふ事(そうしたこと)を恨怨(うら)んで、攻めて戦ってきたら、
塩盈珠(しほみつたま)(潮が満ちる珠)を出して溺らし、
 若し(もし)それで愁ひ請したら(苦しんで助けを求めたら)、塩乾珠(しほふるたま)を出して活(生)かして、
如此(このように)惚(なやまし)(悩ませ)苦しませなさい」と言って、塩盈珠と塩乾珠の併せて両個(二個)を授けて、
すぐに、悉(ことごとく)和邇魚(わに)(鮫)を召び集めて問いて、「今、天津日高(あまつひこ)の御子、
虚空津日高(そらつひこ)が、上の国(葦原中国)に出幸で将(まさむ)(出ていこうと)為たまふ(している)
誰が幾日(何日)で送り奉りて、覆奏(帰ってきて報告)ができるか」と尋ねた
 そこで、各(それぞれ)が己が身の尋長(ひろたけ)の隨(まにま)に(自分の能力に応じて)、
日を限りて(日数を定めて)白しけらく(申し上げる)中で、一尋和邇(ひとひろわに)が、
「僕(あ)は一日で送り、すぐに帰って来ます」と白しけらく(申し上げた)
 ゆえに、その一尋和邇に、「然らば汝(なれ)が送り奉れ。若し(ただし)海の中を渡る時には、
惶畏(かしこませ)(怖がらせ)てはならないぞ」と告げて、その和邇(わに)(鮫)の頸(首)に乗せて送り出した
 そして、その期(ちぎりし)が如く(約束通りに)一日の内に送り奉われた
 その和邇(鮫)が返え将せし(帰ろうとしたとした)時、佩(はかせる)(腰につけていた)紐小刀(ひもかたな)を解いて、
その(頸)首に付けて返した(帰した)
 それゆえ、その一尋和邇(ひとひろわに)(鮫)は、今、佐比持神(サヒモチ)と言うのである


 これを以って(このようなわけで)、備(つぶさ)に海神の教えの言(こと)の如くして(言われた通りにして)、
その鉤(つりばり)を与へた
 それゆえに、それ以後は、稍兪(ややに)(徐々に)貧しくなって、更に荒々しい心を起こして迫って来た
 攻め将(ようとする)時には、塩盈珠(しほみつたま)を出して溺れさせ、
それで愁ひ請せば(苦しんで助けを求めたら)、塩乾珠(しほふるたま)を出して救い、
如此(このように)惚(悩み)苦しませたとき、稽首(のみ)(頭を下げて)、
「僕(あ)は、今より以後は、汝命の昼夜の守護人(まもりびと)と為(な)って仕へ奉ります」と白しけらく(申し上げた)
 ゆえに、今に至るまで、その溺れた時の種種(くさぐさ)(様々)な態(わざ)(仕種)で、絶えず仕え奉っているのである

【豊玉毘売命】

 ここにおいて、海神の(女)娘の豊玉毘売命(トヨタマビメ)が、自ら参出(まいでて)、
「妾(あ)は已に(すでに)妊娠して、もうすぐ産む時と臨(な)りました
これを念(おもふ)(思う)に、天つ神の御子は、海原(うなばら)で生むべきではありません
それゆえに参出(まいでて)到りました」と白しけらく(申し上げた)
 そこですぐに、その海辺の波限(なぎさ)(波打ちぎわ)に、鵜の羽を葺草(ふきくさ)と為(し)て、産殿(うぶや)を造った
 ここにおいて、その産殿が、まだ葺き合へぬ(終えない)うちに、御腹(みはら)の急(あわただ)しさに忍びず(耐えれず)、
ゆえに産殿に入り坐した
 そして将に(まさに)産もうとする時に、その日子(ひこぢ)(夫)に、
「凡て(すべて)佗国(あだしくに)(他の国)の人は、産む時に臨(な)ると、本国(もとつくに)(産まれた国)の形を
以ちて(姿になって)産みます
 なので妾(われ)も今、本の身(本来の姿)を以ちて産みますので、お願いですから、妾(私)を見ないで下さい」と
白しけらく(申し上げた)
 ここにおいて、その言葉を奇妙に思い、その産もうとするのを竊伺(かきま)(のぞき見)すると、
八尋和邇(やひろわに)(大きな鮫)に化(な)って、匍匐(はひ)(這い回って)委蛇(もこよひき)(身をくねらせていた)
 すぐに、見て驚き畏みて(恐れて)遁(逃)げ退(出)した
 そして、豊玉毘売命は、その伺見(かきまみ)(覗き見)られた事を知って、心恥ずかしと以為(おも)(思い)、
乃ちその御子を生み置いて、「妾(私)は、恒(常)に海の道を通って往き来しようと欲(おもって)(思って)いました
然れども、吾(私)の形(姿)を伺見(覗き見)されてしまったのは、これは甚(いと)(とても)恥ずかしいことです」と
白したまひた(申した)
 すぐに、海坂(うなさか)(海国と葦原中国との境)を塞いで、返り(帰り)入ってしまった
 これを以って、その産まれた御子の名を、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズ)と言う

【鵜葺草葺不合命の誕生】

 然かし後に、その伺(かきまみた)(覗いた)心情を恨んだけれど、恋しい心に忍びず、
その御子を治養(養育)するという縁(よし)(理由)に因りて、その弟(おと)(妹)の玉依毘売に附けて(託して)、
歌を献り(贈った)、その歌は、

   「阿加陀麻波(あかだまは)袁佐閇比迦禮杼(をさへひかれど)斯良多麻能(しらたまの)
   岐美何余曾比斯(きみがよそひし)多布斗久阿理祁理(たふとくありけり)」

   「赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり」

   「赤玉は華麗で 玉の緒さえも光り輝くようだが 白玉のような 君が着飾っている姿も いっそう貴く見えます」

 そこで、その比古遅(ひこぢ)(夫)が答へて歌い、

   「意岐都登理(おきつとり)加毛度久斯麻邇(かもどくしまに)和賀韋泥斯(わがいねし)
   伊毛波和須禮士(いもはわすれじ)余能許登碁登邇(よのことごとに)」

   「沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに」

   「鴨の飛んで来る沖の鳥で 私と共に寝た妻のことは決して忘れないだろう 世が終わろうと 」

 そして、日子穂穂手見命は、高千穂宮(たかちほのみや)に五百八十年、坐(ましき)(鎮座した)
 その御陵(みはか)は、即ち(すなわち)高千穂(たかちほやま)の山の西に在る


 この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズ)が、
その姨(おば)(叔母)の玉依毘売命を娶って生んだ御子の名は、五瀬命(イツセ)
 次に、稲氷命(イナヒ)
 次に、御毛沼命(ミケヌ)
 次に、若御毛沼命(ワカミケヌ)、またの名は豊御毛沼命(トヨミケヌ)、またの名は神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコ)
 四柱である
 そして、御毛沼命は、波穂(波先)を跳みて(飛び越えて)、常世国(とこよのくに)に渡り坐(鎮座)し、
稲氷命は、妣国(ははのくに)と為(し)て、海原に入って坐す(鎮座した)


 古事記 上巻 終

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