北条時政(ほうじょう ときまさ)(Tokimasa Houjyou)

平安時代末期から鎌倉時代初期の北条氏の武将

生年:1138年(皇紀1798)保延4年
没年:1215年(皇紀1875)建保3年1月6日
享年:78

父親:北条時方 あるいは 北条時兼
母親:伊豆掾(いずのじよう)伴為房(とものためふさ)の娘

別名:北条四郎
通称:北条殿、遠州
戒名:願成就院明盛

官位:従五位下・遠江守、駿河・伊豆守護
幕府:鎌倉幕府初代執権、鎌倉幕府十三人の合議制の一人、京都守護
主君:源頼朝、源頼家、源実朝

得宗家初代当主

お墓:伊豆の国市寺家願成就院

 北条時政(ほうじょうときまさ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の北条氏の武将

 伊豆国へ流罪となった源頼朝の監視役となり、娘 政子が源頼朝と結婚

 治承・寿永の乱(源平合戦)において、源頼朝が平氏打倒の挙兵に伴い、源頼朝とともに鎌倉幕府をつくる

 3代将軍に、娘 阿波局が乳母をしていた源実朝を擁立して、初代執権となり、執権政治を始める

【北条時政の歴史・経緯】

【北条時政】

 <守護・地頭の全国への設置
 北条時政が、後白河法皇に、源義経の追補を理由に迫り認めさせた
 これによって鎌倉政権が全国的な政権として確定する
 ・全国すべてに郡や郷を支配する地頭をおき、荘園・公領をとわず反別5升の兵粮米を徴収すること
 ・一国の田地を知行する守護をおくこと


 <北条政子>
 北条時政の長女、母親は未詳
 初代将軍 源頼朝の正妻、2代将軍 源実朝の生母
 父親 時政が、継母 牧の方と、政子の実子の将軍源実朝を殺害し、牧の方の娘婿 平賀朝雅を将軍に擁立しようとしたとき
異母弟 北条義時ともに阻止
 父親 時政が鎌倉から追放されることとなる


 <北条九代(得宗家)>
 得宗家(とくしゅうけ)は、鎌倉幕府の北条氏の家督相続した家系
 政所別当としての執権を北条氏が独占的に世襲して、執権政治を行った
 時政、義時、泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時


 <京都守護>
 鎌倉幕府の代官として山城国の支配にあたった
 朝廷との折衝、都の治安維持、平氏残党の捜索などを行った
 初代 北条時政、一条能保、平賀朝雅、伊賀光季


【京都検定 第21回2級】

[インデックス]


京都通メンバページ


フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク