北条義時(ほうじょう よしとき)(Houjyou Yoshitoki)

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士

生年:1163年(皇紀1823)長寛元年
没年:1224年(皇紀1884)貞応3年6月13日
享年:62

父:初代執権 北条時政
母:伊東入道の娘
同母姉 :北条政子

鎌倉幕府の第2代執権
得宗家2代当主

官位:従四位下、相模守、陸奥守、右京権大夫

出身:伊豆国(現在の静岡県伊豆半島)

 北条義時(ほうじょう よしとき)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士

 同母姉 北条政子とともに、父親 北条時政の執権職を剥奪し伊豆国へ追放し、北条得宗家2代当主となる

 承久の乱において
 後鳥羽上皇が義時追討の宣旨が出され朝敵となる
 挙兵した後鳥羽上皇に対して、幕府軍が京都を制圧、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇らを配流した

【北条義時の歴史・経緯】

【その他】

 <北条政子>
 北条時政の長女、母親は未詳
 初代将軍 源頼朝の正妻、2代将軍 源実朝の生母
 父親 時政が、継母 牧の方と、政子の実子の将軍源実朝を殺害し、牧の方の娘婿 平賀朝雅を将軍に擁立しようとしたとき
異母弟 北条義時ともに阻止
 父親 時政が鎌倉から追放されることとなる


 <北条九代(得宗家)>
 得宗家(とくしゅうけ)は、鎌倉幕府の北条氏の家督相続した家系
 政所別当としての執権を北条氏が独占的に世襲して、執権政治を行った
 北条時政、義時、泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時


 <京都守護>
 鎌倉幕府の代官として山城国の支配にあたった
 朝廷との折衝、都の治安維持、平氏残党の捜索などを行った
 初代 北条時政、一条能保、平賀朝雅、伊賀光季

 <六波羅探題
 承久の乱の後、北条義時が京都守護に代えて、公家政権の監視にあたる出先機関として設置する


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