源平合戦(げんぺいかっせん)(治承・寿永の乱)(じしょう・じゅえいのらん)

平安時代末期の6年間にわたる平氏政権に対する反乱

契機:1180年(皇紀1840)治承4年4月9日:後白河法皇の皇子 以仁王の令旨
終了:1185年(皇紀1845)元暦2年3月24日:長門国壇ノ浦において平氏が壊滅する

政権:安徳天皇・(平氏)平清盛・平宗盛など

反乱勢力:後白河法皇以仁王後鳥羽天皇・(源氏)源頼政源頼朝源義経・源範頼など

結果:平氏滅亡

別称:治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)

 源平合戦(げんぺいかっせん)(治承・寿永の乱)は、平安時代末期の6年間にわたる平氏政権に対する反乱

 後白河法皇の皇子 以仁王源頼政の挙兵をきっかけに起こり、源頼朝を中心とした武士たちが平氏を滅ぼす

 実質、合戦では、源頼朝の命を受けた源頼朝の異母弟 源義経と源範頼兄弟が活躍する

 平氏政権が滅び、関東において新たな武力政権(鎌倉幕府)が成り立つことになる

【源平合戦(治承・寿永の乱)の歴史・経緯】

【源平合戦】

 <合戦地>
 関東地方西部から西、北陸地方から南、東海地方全域、近畿地方全域、瀬戸内海全域、中国地方全域の広範囲にわたる

 京都 洛中では合戦はなく、宇治では2度の合戦があった
 ・平知盛・平重衡が率いる大軍に、以仁王源頼政が、平等院に追われ討ち取られる
 ・範頼軍と源義経軍の大軍が、木曾義仲に総攻撃する


 <源氏側朝廷の主な人物>
 後白河法皇以仁王後鳥羽天皇

 <平氏側朝廷の主な人物>
 高倉上皇・安徳天皇・生母 平徳子・祖母 二位尼(平時子)


 <源氏側の主な武将>
 源頼政
 源頼朝源義経・源範頼・源希義・源義基・源光長・安田義定・一条忠頼・源希義・源頼光佐々木盛綱・佐々木高綱・
 大内惟義・大井実春・那須与一

 <源氏側についた主な平氏>
 北条時政・土肥実平・熊谷直実・畠山重忠・梶原景時・梶原景季・三浦義澄・千葉常胤・上総広常など


 <平氏側の主な武将>
 平清盛・平宗盛・平知盛・
 平重衡・平維盛・平資盛・平忠度・平通盛・平貞能・藤原忠清・平家継・平経正・平信兼・山木兼隆・
 大庭景親・伊東祐親・藤原親政・佐竹秀義・蓮池家綱・平田俊遠・田口成良・原田種直・菊池隆直
 城資永・城助職

 <平氏側についた主な源氏>
 新田義重・佐竹秀義・源季貞など


 <両者と戦った主な武将>
 木曾義仲・武田信義・志田義広・源行家・山本義経・足利義清・海野幸広


 <源氏側についた主な豪族>
 北条義時・河野通清・河野通信・菊池隆直・緒方惟栄・和田義盛・多田行綱・
 越前国(福井県)の豪族・加賀国(石川県)の豪族


 <源氏側についた主な社寺>
 東大寺・興福寺・熊野三山(熊野別当 湛増)・園城寺(筒井浄妙・一来法師

【史跡】

 <平家物語
 源平合戦からの、平家の栄華と滅亡を叙事詩的に描いた軍記物語


 <宇治川先陣之碑
 宇治橋の南側、宇治川の中州となっている京都府立宇治公園の中の島(橘島)に立つ
 木曾義仲と源義経の軍との宇治川の戦いでの佐々木高綱と梶原景季との先陣争いの史跡

【その他】

 <日本三大謀反
 源頼政は、平清盛から信頼され、平清盛とともに内裏の援護にあたるなど、源氏の長老として平氏政権の下で活躍をし、
 平清盛の計らいで、武士としては破格の従三位に叙せられて公卿となった

 しかし、後白河天皇の皇子 以仁王と組んで、全国の源氏に平家打倒の令旨を伝えて挙兵する
 足利尊氏明智光秀と並び日本三大謀反とされる
 3者とも現在の亀岡市に領地を持ち、矢代荘(現在の亀岡市矢田町)には、源頼政の首塚頼政塚がある

 

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