佐久間象山(さくましょうざん)(Syouzan Sakuma)

江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家

生年:1811年(皇紀2471)文化8年2月28日
没年:1864年(皇紀2524)元治元年7月11日
享年:54

父親:信濃松代藩士 佐久間一学国善

諱:国忠(くにただ)、後に、啓(ひらき)
字:子迪(してき)、後に、子明(しめい)
号:象山(しょうざん)、地元では「ぞうざん」とも称される
通称:修理(しゅり)

位階:贈正四位

松代三山の一人

象山神社の祭神

出身:長野県

 佐久間象山(さくましょうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家・開国論者

 私塾で砲術・兵学を教え、門弟には、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬山本覚馬らがいる

 一橋慶喜らに公武合体論と開国論を説いた

【佐久間象山の歴史・経緯】

【佐久間象山】

 <著書「匆卦(ほうけ)」>
 <著書「省けん録(せいけんろく)>
 <著書「荷蘭語彙」>

 <私塾「五月堂」>
 江戸 木挽町に開き砲術・兵学を教えた
 勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬山本覚馬・小林虎三郎・加藤弘之・河井継之助・橋本左内・岡見清熙・加藤弘之らが入門した

 <佐久間象山の名言>
 「学問は日々積み重ねられなければならない。一朝一夕で成るものではないことを肝に銘じるべし。」
 「書を読んで知識をため込むだけでは駄目である。実際にやってみなければ役に立たない。それがサイエンスだ。」
 「人々が何を言おうと、怖(お)じることなく、心中はいつもやすらかです。これも今までの修行の成果でありましょう。」

【佐久間象山ゆかりの地】

 <佐久間象山・大村益次郎遭難の地
 三条木屋町通高瀬川一之舟入あたり
 尊王攘夷派により暗殺された現場に建てられている

 <佐久間象山寓居跡(中京区木屋町御池下ル)>
 佐久間象山の最後の住居の跡

 <大法院の墓地>
 佐久間象山や、信濃松代藩の真田家一門のお墓がある


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