地図情報
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滋野井(しげのい)は、都七名水の一つ
京都府府庁から西洞院通を下ったところにあり、
平安時代初期、公家で学者の滋野貞主が住んでいた滋野井殿があったところ
京生麩の老舗 麩嘉(ふうか)により、井戸が掘り下げられ、京生麩に用いられるとともに、
名水が提供されている
<滋野井(しげのい)>
平安時代初期、公家で学者の滋野貞主が住んでいた滋野井殿にあった泉
七名水の一つとされた
<京生麩の老舗 麩嘉(ふうか)>
1864年(皇紀2524)元治元年
現在の地に移転してくる
麩作りに良質な井戸水を多量に必要とするため、滋野井を管理し、取水を行っている
1980年(皇紀2640)昭和55年
井戸を40m掘り下げて地下60mの水脈より取水を行っている
民家の庭に井桁だけが残されていたものを、
京都まなびの街生き方探究館(旧滋野中学校)の前に移設・復元されている
<移設復元された滋野井の井桁>
京都府府庁から西洞院通を下った元滋野中学校前に移設復元されている
平安時代初期、公家 儒学者 滋野貞主が住んでいた滋野井殿があった敷地内にあたる
滋野中学校の校歌には「滋野井」が読み込まれており、
復元された井桁の横には、滋野中学校統合記念碑が立てられている
<民家に残されていた滋野井の井桁>
江戸時代によくみられる手法の石組み
花崗岩製
一辺が約180cmと約140cmの4枚の一枚岩で組まれていた
旧井桁の横にあった石碑の碑文
「滋の井 往昔 精大明神 御神水也 此水不浄之 事に遣へからす」
(滋の井は、いにしえの精大明神の御神水であって、この水を不浄の事に使ってはならない)
滋野中学校は、公家 儒学者 滋野貞主が住んでいた滋野井殿があった敷地跡にあった
現在は、京都市教育委員会所管「京都まなびの街生き方探究館」となっている
滋野中学校の校歌の歌詞には「滋野井」が読み込まれており、
復元された滋野井の井桁の横に、校歌を刻んた滋野中学校統合記念碑が立てられている
<滋野中学校の校歌>
滋野井の泉のほとり 集いよる聖なる若人 今ぞ汲む真摯なるかな
正義と真理 沸り出づる清しき生命もて
求めゆかむ道に幸あり 明らけき我が学び舎 その名 滋野
そそり立つ銀杏の木陰 慕いよる聖なる若人 今ぞ仰ぐ虔しきかな
自由と敬愛 溢れ出づるおほらけき
血もて育くまん道に幸あり うるわしき我が学び舎 しだりやなぎの糸長く
その名 滋野