飛鳥井家(あすかいけ)は、藤原北家師実流(花山院家)の一つである難波家の庶流の公家
鎌倉時代前期、難波頼経の次男 難波雅経(藤原雅経)(まさつね)が家祖とされる
代々、歌道・蹴鞠の師範を家業とした
平安時代末期
藤原成通(ふじわらなりみち)が「蹴鞠名人」と称され、蹴鞠を1日も欠けることなく行い「千日の毬」を達成し、
蹴鞠の庭に7000日以上も立ち「蹴聖」と称された
難波頼輔は、後白河法皇から蹴鞠の才を認められて「蹴鞠之長」と称され、
関白 九条兼実からは「無双達者」と賞賛され、「蹴鞠口伝集」を編述し蹴鞠一道の祖とされる
難波頼輔の孫 難波雅経(なんばまさつね)が、歌道にも蹴鞠にも優れ、歌鞠二道を伝え、飛鳥井家の祖とされる
難波雅経の兄が、難波家を継承する
<飛鳥井流>
毬を右足の甲だけで蹴る
毬の直径は20cmほどあり、120gの重さがある
毬の中は空洞になっている
外は2枚の鹿皮を使用し、馬皮の紐で閉じている
鞠庭の四隅には、神さんが降り立つとされる松・桜・柳・楓の懸かりの木(式木)が植えられている
<鞠の精三神>
白峯神宮に祀られている精大明神(せいだいみょうじん)
「蹴聖」と称された蹴鞠名人 藤原成通が、蹴鞠を1日も欠けることなく行う「千日の毬」を達成した満願の日
猿に化身した三神が現れたといわれる
このため、鞠を蹴るときには、三神の春陽花(やう)、夏安林(あり)、秋園(おう)の神名を掛け声にされた
鎌倉時代初期
難波雅経(なんばまさつね)が、歌道にも蹴鞠にも優れ、歌鞠二道を伝え、飛鳥井家の祖とされる
<小倉百人一首 94番>
「み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり」(飛鳥井雅経)
飛鳥井雅経が、藤原定家らとともに「新古今和歌集」を撰し、家集「明日香井集」を著する
飛鳥井雅経が、勅撰和歌集に132首が入集されている
雅経の孫 飛鳥井雅有が、後嵯峨上皇の勅命による「続後撰和歌集」の撰者の一人として完成させる
飛鳥井雅世が、後花園天皇の勅命による「新続古今和歌集」の撰者となる
<白峯神宮>
飛鳥井家の邸宅跡に創建される
蹴鞠の神さんとして、精大明神(せいだいみょうじん)が祀られている
蹴鞠の碑があり、スポーツの守護神とされている
<町名「飛鳥井町」>
飛鳥井家の邸宅跡の町名