茶の湯都七名水(ちゃのゆみやこななめいすい)お茶の七名水

 京都盆地の地下には、琵琶湖の2/3に相当する地下水があるといわれ、昔から名水の地で、多くの泉や井戸があった

 最近は、地下鉄などの開発で、水の出が悪くなっているといわれる

 室町時代に茶道を発展させた能阿弥も、お茶に適した七名水を選んでいる

【茶の湯都七名水】

 <天之真名井
 市比賣神社
 都七名水の一つ

 795年(皇紀1455)延暦14年
 桓武天皇の勅命により、平安京の左右両市場の守護神として創建される

 歴代天皇の皇子や皇女ご出産のときには、この御神水を「産湯」に用いられてきた

 現在も名水として茶会・花展・書展等に用いられている

 一願成就の御神水とされ、絵馬を掛け御神水を飲んで祈願すると、一つだけお願事が叶うといわれる


 <音羽滝(おとわのたき)>
 清水寺の境内
 本堂東側の石段を下りた先に、寺名の由来でもあり「清めの水」として信仰されている名水が、3本の筧(かけい)から流れ落ちている

 音羽の滝の奥には、不動明王清水寺の元祖 行叡居士が祀られている

 「黄金水」「延命水」とも称される

 洛中洛外図」(上杉本)などにも、3本の筧や滝に打たれる行者が描かれている

 水質は、不純物の混入が少なく硬度の低い軟水
 ミネラルを豊富に含んでおり、お茶やコーヒーなどの水にも使用すると本来の旨味が引き出されるといわれる


 <佐女牛井
 西本願寺の北、堀川通沿いにある
 京の三名水都七名水お茶の七名水の一つ

 平安時代
 源氏の六条堀川邸にあり、京の名水とされていた

 室町時代
 茶人 村田珠光が、このあたりに住み、足利義政に献茶したといわれる

 千利休武野紹鴎、織田有楽斎などの茶人に好まれ「天下一の名水」と称された

 第2次大戦時
 堀川通の強制疎開とともに撤去された
 元の井戸の付近(下京区堀川通五条下ル西側)には「左女牛井之跡」の石標が立っている

 他所の名水「醒井(さめがい)」「醒ヶ井」などとは、水脈も違うものとされる




 <滋野井(しげのい)>
 滋野貞主邸跡(上京区下立売通油小路東入南側)
 京都御所の南西、生麩の老舗「麩嘉(ふうか)」の駐車場横にある
 都七名水の一つ

 平安時代
 公卿 滋野貞主の邸宅「滋野井殿」があり、その邸内に涌いていた

 その後、蹴鞠の名人 藤原成道が住み、滋野井のほとりに鞠の神 精大明神の社を建てた(現在の白峯神宮

 文政年間(1818年〜1830年)
 生麩の老舗「麩嘉(ふうか)」が創業したといわれる

 明治時代
 一時期、埋められてしまう

 1980年(皇紀2640)昭和55年
 麩作りに良質な井戸水を多量に必要とするために、井戸を掘りなおされる
 40m掘り下げて地下60mの水脈より取水を行っている

 民家の庭に井桁だけが残っていた
 2018年(皇紀2678)平成30年3月
 京都まなびの街生き方探究館(旧滋野中学校)の前に井桁が移設された


 <芹根水
 堀川通木津屋橋南、旧安寧小学校の西にある
 都七名水お茶の七名水の一つ

 平安時代
 堀川通沿いに湧いていた京の名水とされていた

 茶道家や文人書家に愛用されていた

 宝暦年間(1751年〜1764年)
 芹根水を銘にした石碑が立てられたといわれる

 1780年(皇紀2440)安永9年
 「都名所図会」巻二にも描かれている名所の一つだった
 「芹根水は、堀川通木津屋橋南にあり、
書家鳥石葛辰が、清水に井筒を入れて傍らには芹根水の銘を石面に彫刻す」と記されている
 書家 松下烏石が、堀川から川の水が入らないように寄進した井筒で囲まれていたといわれる

 大正時代
 堀川改修により、堀川から濁水が混入して使われなくなった

 1982年(皇紀2642)昭和57年
 石碑が、堀川の暗渠工事により、少し南に下がった旧安寧小学校の西に移された

 芹根水跡碑のすぐそばに、松下烏石の書といわれる「文房四神之碑」も立っている


 <中川井(なかがわのい)>
 寺町二条(旧妙満寺)にあった井戸
 現在は、移転した岩倉の妙満寺に石碑が立っている
 都七名水お茶の七名水の一つ

 安土桃山時代
 1583年(皇紀2243)天正11年
 妙満寺が、豊臣秀吉の命により寺町二条に再建された
 境内に、中川井があり名水とされた

 寺町通には名水が多く、同じ水脈といわれる

 1968年(皇紀2628)昭和43年
 妙満寺が、岩倉幡枝に移転
 中川の井の石碑も一緒に移された


 <六孫王誕生水(ろくそんのうたんじょうすい)>
 六孫王神社の境内北側の誕生水弁天社にある
 都七名水お茶の七名水の一つ

 平安時代中期
 源経基の邸宅「八条亭」があった
 源経基は、清和天皇の第六皇子 貞純親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王(ろくそんのう)」と称された

 六孫王の長男 源満仲が誕生するときに、琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請し、
安産を祈願して産湯に使うために井戸の上に誕生水弁財天社が建てられた

 安産の水として、この水を子供に飲ませると元気に育つといわれている

 初代の井戸は、新幹線の工事のときに高架橋の下になってしまう
 現在の2代目の井戸が、同じ水脈から掘り直されている


【お茶の七名水】



 室町時代に茶道を発展させた能阿弥が選んだ、お茶に適した名水7か所

 <佐女牛井
 京の三名水都七名水茶の湯都七名水の一つ(上記)


 <芹根水
 都七名水茶の湯都七名水の一つ


 <大通寺の井(だいつうじのみず)>
 都七名水茶の湯都七名水の一つ
 「六孫王誕生水」(上記)の別称


 <常盤井
 北区紫野下築山町
 智恵光院通から少し東へ入った所に「常盤井」の石碑が立っている


 <中川井(なかがわい)>
 都七名水茶の湯都七名水の一つ


 <水薬師の水(みずやくしのみず)>
 水薬師寺(下京区西七条石井町)の弁天堂の池
 現存はしていない

 平清盛が熱病にかかった時、この水で水浴して治癒したといわれる
 「清盛井(きよもりのい)」「石井」などとも称されていた


 <御手洗井(みたらい)>
 御手洗井
 かつて、八坂神社御旅所の社務 藤井助正の屋敷があったとされる

 1568年(皇紀2228)永禄11年
 織田信長により、祇園御旅所が移転される
 井戸は封鎖され、毎年祇園会の時のみ開放し、御神水が自由に飲めるように命じる

 桃山時代
 町民の申し出により、町名が御手洗井にちなんで「手洗水町」と改名され、町民により管理されている

 祇園祭の宵々山(7月15日)の早朝に御手洗井戸開きが行われ、還幸祭(7月24日)には再び閉じられる
 期間中は、くみあげられた水が流れ続けている


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