吉村寅太郎寓居跡(よしむらとらたろうぐうきょのあと)



所在地:京都市中京区木屋町通三条上ル東側上大阪町   地図情報

 吉村寅太郎寓居跡(よしむらとらたろうぐうきょのあと)は、土佐藩出身の尊王攘夷派の志士 天誅組の吉村寅太郎が、
1863年(皇紀2523)文久3年に仮住まいをしていた場所

 各藩邸や志士の寓居が多かった木屋町通の三条を上がったところに石碑が立ち、
 近くには、佐久間象山寓居跡武市瑞山先生寓居跡もあり、ちりめん洋服発祥の地の石碑も並んで立つ

【吉村寅太郎】

 吉村寅太郎(よしむらとらたろう)は、土佐藩出身の志士

 1837年(皇紀2497)天保8年
 土佐国高岡郡北川村の庄屋の家に生まれる

 1861年(皇紀2521)文久元年
 土佐勤王党に加盟

 1862年(皇紀2522)文久2年
 土佐藩から脱藩し第一号となる

 4月23日
 寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される

 1863年(皇紀2523)文久3年3月
 再び上洛して、この地に住み、尊王攘夷運動の中心の一人として活躍する

 8月
 明治天皇の叔父 中山忠光を連れて、京都から大和に移り、天誅組(てんちゅうぐみ)を結成し挙兵する
 五条代官所を襲撃して、桜井寺に本陣を置いた

 八月十八日の政変
 会津藩・薩摩藩などの公武合体派により、尊皇攘夷派が京都から追放され、
吉村寅太郎も十津川に逃げ、そこから高取城を攻めるが大敗し、吉野郡高見村鷲家口に隠れる

 9月16日
 鷲家口も襲撃されて(天誅組の変)、逃げ場を無くしその場で自刃する

【吉村寅太郎寓居跡へのアクセス】

 地下鉄 市役所前 徒歩約5分

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