夕霧大夫遺跡(ゆうぎりたゆういせき)は、江戸時代の島原の名妓(めいぎ)夕霧太夫(ゆうぎりたゆう)の遺跡
嵐山清凉寺の西に石碑が立つ
夕霧大夫は、この地に生まれ、生家が清凉寺塔頭地蔵院の檀家であったことから、
地蔵院墓地にもお墓がつくられた
後に地蔵院は廃寺となり、現在、お墓は大覚寺塔頭覚勝院の管理となっている
1969年(皇紀2629)昭和44年
夕霧大夫の遺跡を示す「夕ぎり大夫遺跡」と記された石標がたてられる
夕霧太夫(ゆうぎりたゆう)は、島原に属した太夫
音曲・舞踊・茶道・華道・歌道など、あらゆる技芸に通じ、美貌で大阪髄一の人気を集めた
「太夫」とは、最上級の遊女で、芸事だけでなく武家・公家・上層町人の相手を務めるだけの
教養や美貌、金や権力に媚びない資質も必要としたといわれる
生年不詳
没年:1678年(皇紀2338)延宝6年1月7日
本名:照(てる)
島原「扇屋」の遊女となり、
後に、扇屋の大坂新町廓への移転と一緒に移り、京の吉野太夫と並び大阪髄一の太夫となる
20代の若くして病死してしまう
亡くなった日は「夕霧忌」として俳句の季語にもなっている
<夕霧供養>
毎年11月第2日曜日に清凉寺にて
本堂での法要、嶋原太夫による奉納舞、太夫道中やお墓参りが行われる