尾藤家住宅(びとうけじゅうたく)は、与謝野町加悦のちりめん街道沿いに立つ旧家の建物
加悦重要伝統的建造物群保存地区にあるシンボル的存在
大型農家と丹後ちりめん商家の要素を持つ母屋と、洋風住宅建築が並んでいる
<尾藤家住宅>
江戸時代中期から製織を主産業として発展した重要伝統的建造物群保存地区与謝野町加悦を代表する縮緬繊維問屋
主屋は地区内最古級で、敷地も地区最大級規模
主屋は、江戸時代末期に但馬地域(兵庫県豊岡市日高町)から移築されたもので、
但馬と丹後の双方の民家の特徴を巧妙に採り入れ、その後の加悦地区の主屋に影響を及ぼしたといわれる
敷地は、ちりめん街道に面して前庭付きの主屋が建つ
背後の中庭の周囲に奥座敷・内蔵・洋館、奥蔵・供部屋などがあり、
奥行きが深くなっており、背面は後小路に面している独特の屋敷構えになってる
外観は、白壁とちりめん格子、土塀の上にガラス製の丸い街灯が据えられている
移築や曳家、新築や増改築などの経緯が明らかになっている
8棟(主屋・奥座敷・内蔵・新座敷・雑蔵・新蔵・奥蔵・米蔵)が重要文化財に指定されている
<主屋(重要文化財)>
木造、桁行13.2m、梁間8.0m、二階建、切妻造、四面下屋附属、南西浴室附属、桟瓦葺
1階表にお店・その並びに玄関・事務室・座敷
1階お店の奥の並びに、台所・居間
1865年(皇紀2525)慶応元年の建立
表庭は、敷地の北東隅にあり、座敷・奥座敷から眺められる
中庭は、居間・奥座敷から眺められる
<奥座敷(重要文化財)>
主屋の台所・居間の横に立つ
木造、桁行12.0m、梁間4.7m、一部二階建、東面入母屋造、西面切妻造、桟瓦葺、
南面縁、洗面及び便所附属、東面濡縁・雪隠附属、銅板葺一部桟瓦葺
1階:奥座敷(16畳)
2階:前室・主室
1830年(皇紀2490)天保元年から1867年(皇紀2527)慶応3年の間の建立
<新座敷(洋館)(重要文化財)>
奥座敷の奥の内蔵の奥、雑蔵との間に立つ
1階が日本家屋、2階が洋館の和洋折衷
木造、桁行8.3m、梁間6.4m、二階建、切妻造、桟瓦葺一部銅板葺、二階南面ベランダ附
1930年(皇紀2590)昭和5年の建立
1階の新座敷(14畳)の床柱には松・竹・梅それぞれの木材が用いられている
2階の応接室・書斎の内装等は大阪髙島屋が担当、
椅子や机、ベッドなどすべての調度品は製作図面が残されている特注品
<内蔵(重要文化財)>
奥座敷と洋館の間に立っている
土蔵造、桁行5.9m、梁間4.1m、二階建、切妻造、南面縁附属、桟瓦葺
1865年(皇紀2525)慶応元年の建立
<雑蔵(重要文化財)>
洋館の奥、新蔵との間に立つ
土蔵造、桁行5.9m、梁間3.9m、二階建、切妻造、桟瓦葺
1816年(皇紀2476)文化13年の建立
<新蔵(重要文化財)>
敷地の一番奥、後小路に面している
土蔵造、桁行5.4m、梁間4.9m、二階建、切妻造、桟瓦葺
1889年(皇紀2549)明治22年から1911年(皇紀2571)明治44年の間の建立
<奥蔵(重要文化財)>
敷地内の一番奥にある
土蔵造、桁行10.8m、梁間7.6m、二階建、切妻造、桟瓦葺
1888年(皇紀2548)明治21年の建立
<米蔵(重要文化財)>
供部屋の南奥に立っている
1889年(皇紀2549)明治22年から1911年(皇紀2571)明治44年の間の建立
土蔵造、桁行4.9m、梁間3.9m、切妻造、桟瓦葺
<供部屋>
庭の左側(南側)に、米蔵の前(北側)に立っている
<尾藤家>
住宅を加悦町(現在の与謝野町)に寄付された旧所有者
江戸時代中期より丹後を代表する生糸縮緬(ちりめん)の商家
歴代の当主は、70石大庄屋・加悦町町長・丹後銀初代頭取・加悦鉄道株式会社社長などを務めている