三井越後屋京本店記念庭園
(みついえちごやきょうほんてんきねんていえん) 京都通メンバ
所在地:京都市中京区二条通室町通北西角冷泉町 
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 三井越後屋京本店記念庭園(みついえちごやきょうほんてんきねんていえん)は、
江戸時代に豪商 三井高利が創業した越後屋の跡地

 二条通室町通の北西角に築地塀に囲まれて庭園と鎮守社がある

【三井越後屋京本店記念庭園の歴史・経緯】


【三井越後屋京都本店】

 江戸時代中期
 越後屋京本店が、豪商 三井高利が死去したあと、三井高利が創業した地が手狭になったため移転したところ

 間口8間、奥行18間
 敷地は最盛期には、950坪、3140m2となった

 現在は、敷地68坪、224m2
 建物はなく、庭園が一部復元されて、鎮守社のみが建っている


 <三国稲荷神社>
 三井越後屋京都本店の鎮守社
 祭神:三国稲荷大明神(茶吉尼天(だきにてん))
 ご利益:商売繁盛

 三井高利が、京都に呉服物の仕入店を開業したときに、
守護神 屋敷稲荷神として三国稲荷大明神が祀られたといわれる

 三越京都支店閉店に伴い、一時期、真如堂塔頭法伝寺に遷座される
 記念庭園が竣工され、法伝寺より遷された


 1673年(皇紀2333)延宝元年
 豪商 三井高利が、江戸本町一丁目に呉服店「越後屋」を開業したとき、 鬼門の方角にあった江戸向島の隅田川河畔の三国稲荷を三井家の守護神とされた


【三井高利(みついたかとし)】

 三井高利(みついたかとし)は、三井家(後の三井財閥)の基礎を築いた江戸時代の商人

 江戸と京都で呉服店「越後屋」を開業して、後には両替商も営んで巨額の富を蓄えた


 三井家は、平安時代の関白 太政大臣 藤原道長の後裔といわれる

 平安時代末期
 1100年(皇紀1760)康和2年頃
 藤原右馬之助信生が、京都から近江に移る
 琵琶湖の領地を視察中に、三つの井戸を見つけ、財宝があったことから祝し「三井」の姓に改めたといわれる

 安土桃山時代
 1568年(皇紀2228)永禄11年
 越後守 三井高安が仕えていた六角氏が織田信長により滅ぼされ、
三井家一族は伊勢に逃れ、松阪近くの松ヶ島に移る

 江戸時代初期
 三井高安の息子 三井高俊が、質屋・酒・味噌を商う「越後殿の酒屋」を開業する
 屋号は、父親の官位 越後守にちなんだ


 <三井高俊>
 生年:1622年(皇紀2282)元和8年
 没年:1694年(皇紀2354)元禄7年5月6日
 通称:八郎兵衛
 三井家の中興の祖(三井総領家初代 八郎右衛門)


 江戸時代初期
 1622年(皇紀2282)元和8年
 伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)で、質屋と造り酒屋を開業した三井高俊の四男として生まれる

 江戸で釘抜三井家を創業した長兄の三井高次のところで丁稚奉公し番頭となるが、
商才を恐れた兄達に追い出されてしまい、松坂で金融業・米売買を営み蓄財する

 1673年(皇紀2333)寛文13年
 江戸本町一丁目に、長男 三井高平とともに呉服店「越後屋」を開業する
 現金掛値無しや反物の切り売りなど、新しい商法を行い繁盛する

 同年
 京都でも室町薬師町で高平と呉服業の仕入店を始める

 1683年(皇紀2343)天和3年
 江戸でも両替店(りょうがえだな)を併設する

 1686年(皇紀2346)貞享3年
 京都 新町通六角下ルに、両替店を開き、松阪・江戸・京都の両替業の本拠として、
 京都に移り住む

 1687年(皇紀2347)貞享4年
 綿店(わただな)を開業する

 1691年(皇紀2351)元禄4年
 大坂にも両替商を開業する
 幕府より公儀呉服御用達、金銀御為替御用達を命じられる

 1694年(皇紀2354)元禄7年5月6日
 73歳で死去

【三井越後屋京本店記念庭園へのアクセス】

 市バス 烏丸御池 徒歩約5分
 地下鉄 丸太町駅 徒歩5分

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