聖応大師 良忍上人(せいおうたいし りょうにんしょうにん)



良忍上人(りょうにんしょうにん)
謚号:聖応大師(せいおうたいし)

生年:1072年(皇紀1732)延久4年
没年:1132年(皇紀1792)天承2年2月1日

天台宗の僧侶
融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の宗祖

 聖応大師 良忍上人(せいおうたいし りょうにんしょうにん)は、平安時代後期の天台宗の僧侶で、
融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)を開宗する

 天台声明の修練道場の来迎院を再興し、各流派の声明を統一して大原魚山流(ぎょざんりゅう)を集大成した

【良忍上人の歴史・経緯】




融通念仏宗

 融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の一つ
 「大念仏宗(だいねんぶつしゅう)」とも称される

 1117年(皇紀1777)永久5年5月15日午の刻
 天台宗の僧侶だった聖応大師 良忍上人が、46歳のときに大原 来迎院にて、
一心に念仏を称えて修行をしているとき、
阿弥陀如来が現れ、速疾往生(速やかに仏の道に至る方法)の偈文
「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 
是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満
(「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあう)」
と告げ終わると大光明を放ち、白い絹一枚が授与される
 そのことにより開宗されたといわれる

 <十一尊天得如来>
 本尊
 開宗されたときに阿弥陀如来から授与された白い絹
 空中に現れた阿弥陀如来を中心にして、十体の菩薩がとり囲んでいる様子が描かれている

 <弥陀の妙偈>
 阿弥陀如来から授与された融通念仏の法門
 融通念仏宗の教えの要となるもの

 <神祇同音>
 1125年(皇紀1785)天治2年4月4日
 鞍馬寺で通夜念仏をされたとき、多聞天が現れ、
神々の世界にまで融通念仏日課百遍を勧めた証拠に「神名帳」を授けられる
 その「神名帳」には、日本国内の八百万神の名が連なっており、神々も融通念仏の行者としての
誓約をされている

声明

 声明は、寺院で行われる法要儀式で、経文に音曲をつけて歌詠される仏教儀式音楽
 「梵唱(ぼんばい)(梵語の仏教歌謡)」とも称される
 インドが起源で仏教の発生とともに始められる

 日本音楽の源流といわれる

 日本には、慈覚大師 円仁(えんにん)が、中国 唐の五台山(山西省)の支峰の一つ魚山から伝えられ、
天台声明の修練道場として来迎院が創建された

 後に融通念仏を開いた聖応大師 良忍上人が、来迎院を再興し、
各流派の声明を統一して大原魚山流(ぎょざんりゅう)に集大成される

 魚山流が、天台声明の主流となり、湛智・宗快・喜淵などの声明評論家を輩出する
 魚山流の声明は、「泣き節」とも称され悲壮感がでる

 日本の浄瑠璃、謡曲、民謡などに強く影響を与えたといわれる

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