声明(しょうみょう)

仏教の儀式音楽

五明(ごみょう)の一つ

別称:梵唄(ぼんばい)、梵匿(ぼんのく)、魚山(ぎょざん)

 声明(しょうみょう)は、仏教儀礼で用いられる、仏典に節をつけた仏教音楽の一つ

 仏教が起こったインドで、五明(ごみょう)の一つとして生まれ、中国から仏教伝来と共に日本に伝わった

 日本音楽の源流ともいわれる

【声明の歴史・経緯】

【声明】

 古代インドの学問分野を表す五明(ごみょう)の一つ

 五明とは、声明(音韻学・文法学)・工巧明(工芸・技術論)・医方明(医学)・因明(倫理学)・内明(仏教学)の5つの学問分野

 単旋律による無伴奏の声楽曲
 仏、菩薩、神々を賛美する歌曲として僧侶によって詠われ、修業として重視された

 その理論や旋律様式、声楽的技法は、後世のさまざまな声楽分野の形成に大きな影響を与えたといわれる
 (例えば、今様、平家琵琶、謡曲、浄瑠璃、小唄、長唄、浪花節、民謡、演歌など)

 <天台声明>
 最澄により伝えられ、慈覚大師 円仁、安然により興隆される

 1109年(皇紀1769)天仁2年
 融通念仏宗の祖 良忍上人が、来迎院を建立して、山号を、中国の声明発祥の地の魚山(ぎょざん)に擬して「魚山」とされた
 後に、来迎院勝林院の2ヶ寺が大原流魚山声明の道場となっていく

 その後、寂原が、一派を起こして、大原流に2派の系統ができる

 その後、宗快が、大原声明を再興する

 湛智(たんち)が、新しい音楽理論に基づいた流れを構築し、天台声明の中枢となり、現在の天台声明に継承されている

 融通念仏宗浄土宗浄土真宗の声明は、天台声明からの系統である

 <真言声明>
 空海により伝えられる
 真言宗の僧 真雅(しんが)の後に、体系化される
 声明の作曲・整備に努めた真言宗の僧 寛朝(かんちょう)は、中興の祖とされる

 鎌倉時代までは多くの流派があったが、覚性法親王により、真言声明は、本相応院流・新相応院流・醍醐流・中川大進流の
4派にまとめられた

 現在では
 奈良 中川寺の大進上人が流祖とされる中川大進流を継ぐ、智山声明、豊山声明、南山進流に分別される

 <智山声明(ちざんしょうみょう)>
 中川大進流に由来する真言宗智山派声明
 智積院
 真言宗の僧 頼瑜(らいゆ)により醍醐の古流が採り入れられた
 1583年(皇紀2243)天正11年に、豊臣秀吉により根来寺(和歌山県)が焼き討ちされて衰微したため、醍醐の古流をもとにして起こす
 豊山の「論議」、智山の「声明」と称される

 <豊山声明(ぶざんしょうみょう)>
 中川大進流に由来する新義真言宗系声明
 奈良 長谷寺
 真言宗の僧 頼瑜(らいゆ)により醍醐の古流が採り入れられた
 1583年(皇紀2243)天正11年に、豊臣秀吉により根来寺(和歌山県)が焼き討ちされて衰微したため、醍醐の古流をもとにして起こす
 豊山の「論議」、智山の「声明」と称される

 <南山進流(なんざんしんりゅう)>
 中川大進流に由来する古義真言宗系声明
 高野山、京都古義真言宗寺院
 貞永年間(1232年〜1233年)に、高野山蓮華谷 三宝院の勝心が、本拠地を高野山に移した
 後に、高野山の別名「南山」にちなんで、「南山進流」と称した

【声明ゆかりの地】

 <来迎院
 声明の発祥地
 来迎院の山号「魚山(ぎょざん)」は、中国の声明の聖地 魚山の名前にちなむ
 慈覚大師 円仁が、声明の修練道場として開山する
 後の融通念仏の開祖 聖応大師 良忍上人が入山し、円仁が伝えた声明を統一し、魚山流声明を集大成する
 獅子が、良忍上人の唱える声明に陶酔し堂内を駆けめぐって岩になったといわれる「獅子飛石」がある

 <勝林院
 声明の発祥地
 来迎院と並んで天台声明大原二流の一つである魚山流声明の根本道場
 中国 唐から声明音律学を持ち帰った慈覚大師 円仁が、比叡山に道場を創建したのが由来
 後に、天台声明・常行三昧(じょうぎょうざんまい)・引声念仏(いんぜいねんぶつ)などの根本道場となる

 <宝泉院
 勝林院の僧坊
 実光院とともに声明の道場として創建される
 寂源が、大原寺(勝林院)の僧坊として建て、声明を伝えたのが由来
 声明の大家であった住職 深達僧正が音律を調べるために愛用した「石盤」がある

 <実光院
 勝林院の中興の祖 寂源法師が天台声明を伝承するために開いた勝林院の僧院
 声明の研究のために収集された声明の楽器がある

 <三千院
 1月元日の修正会(しゅしょうえ)などで、出仕の僧侶により、「法華三昧(ほっけざんまい)という声明が唱えられる

 <大報恩寺 千本釈迦堂
 3月22日の千本釈迦念仏・遺教経会などで、釈迦の「遺教経」を千本式の唱え方で奉誦される僧侶の声明が流れる

 <浄蓮華院
 良忍上人により、声明の根本道場として建立される

 <相国寺
 「相国寺の声明面(しょうみょうずら)」「相国寺の梵唄(ぼんばい)」と称される
 初代住職の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が、元国より渡来した名禅僧の笠仙禅師や清拙禅師から元の朝風の回向文や
諷経の曲調を学び、生まれ持った美声とあいまって、独自の声明をあみ出した
 その後、相国寺の僧達に、お経や回向文の曲節の美しさが伝承されている

 <真如堂
 10月14日〜16日の引声阿弥陀経会などが行われる
 慈覚大師 円仁が渡唐されたとき、五台山(ごたいさん)において生身の文殊菩薩から、極楽世界八功徳池の波の音に
唱和する「引声阿弥陀経(いんぜいあみだきょう)」を伝授されたといわれ、現在は、真如堂のみに残る仏事が行われる

 <延暦寺
 2006年(皇紀2666)平成18年、根本中堂で、開宗1200年の節目を記念する「祥当法要」が行われ、
天台座主や全国の僧侶が集まって天台声明が唄われた

 <勝手神社
 来迎院を再興した良忍上人が、声明の守護神として大和 多武峯(とうのみね)より勧請した神社

 <金剛寺 八坂庚申堂
 開基 浄蔵貴所は、学問や声明・文学にも秀でた修験者

【声明ゆかりの人物】

 <慈覚大師 円仁
 中国 山東省黄河のほとりにある魚山で声明を修得し、日本に天台声明が伝えられる
 五台山において生身の文殊菩薩から、極楽世界八功徳池の波の音に唱和する「引声阿弥陀経」が伝授されたといわれる
 声明の修練道場として、来迎院勝林院などを開山する

 <良忍上人
 天台声明の修練道場の来迎院を再興し、各流派の声明を統一して大原魚山流(ぎょざんりゅう)を集大成した
 後の融通念仏の開祖

 <寂源法師>
 慈覚大師 円仁の9代目の弟子で、勝林院の中興の祖  声明の道場として宝泉院を創建する

 <春屋妙葩(しゅんおくみょうは)>
 相国寺の初代住職
 元国より渡来した名禅僧の笠仙禅師や清拙禅師から元の朝風の回向文や諷経の曲調を学び、生まれ持った美声とあいまって、
独自の声明をあみ出した

 <浄蔵貴所
 学問や声明・文学にも秀でた修験者
 金剛寺 八坂庚申堂の開基

【その他】

 <博士(はかせ)>
 当初は、声明は、口伝(くでん)で伝えられており、楽譜のようなものはなく、伝授は困難であった
 後に、楽譜にあたる博士(はかせ)が考案された
 各流派により、博士などの専門用語には違いがある
 しかし、唱えるための参考であり、正式に習得するには、面授(口伝)が必要不可欠であといわれる

 <「呂律(ろれつ)が回らない」>
 声明の呂曲(呂旋法)を律旋法で唱誦するときに、うまく呂と律の使い分けが出来ないこと
 三千院を挟んで北側に「律川(りつせん)」、南側に「呂川(りょせん)」と称される小さな川が流れている

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