地図情報
金胎寺(こんたいじ)は、相楽郡和束町の最北部、霊山とされる鷲峰山(じゅぶざん)の南側の山腹にある
鷲峰山(標高682m)は、南山城地方の最高峰で、大和の大峰山とともに二大霊峰の一つとされ、
山岳宗教の拠点として栄えた
大和の大峯山に対し「北大峯」と称された
江戸時代
境内は、東西30町、南北19町半の広さがあり、西塔・東塔に分かれた山内に数多くの堂塔があった
明治新政府の廃仏毀釈の悪政により、広さは3町弱になってしまい
鷲峰山(標高685m)山頂付近一帯が境内になっている
1934年(皇紀2594)昭和9年3月13日
金胎寺境内が、国の史跡に指定される
<表参道>
和束町原山口からの金胎寺参道が表参道とされる
北側の宇治田原町側からも、東海自然歩道など複数の登山道がある
境内東側には、行場めぐりのルートがある
<山門>
<本堂(弥勒殿)>
江戸時代の再建
<多宝塔(たほうとう)1基(重要文化財)>
三間多宝塔、こけら葺
1298年(皇紀1958)永仁6年の建立
屋根の上の伏鉢に銘がある
1490年(皇紀2150)延徳2年 修理されている
1681年(皇紀2341)天和元年 修理されている
1899年(皇紀2559)明治32年4月5日 重要文化財に指定される
<石造 宝篋印塔(ほうきょういんとう)1基(重要文化財)>
鷲峰山山頂付近に立つ
1300年(皇紀1960)正安2年の建立
「正安二年願主」の刻銘がある
1952年(皇紀2612)昭和27年11月22日 重要文化財に指定される
奈良時代の越智泰澄法師が、麓まで托鉢を飛ばして食料を得たという「空鉢の峰(くはちのみね)」伝承の舞台
<福寿弁財天堂>
江戸時代の建立
<大師堂>
1973年(皇紀2633)昭和48年の再建
<厄除け行者堂>
江戸時代の建立
<銭弘俶八万四千塔(せんこうしゅくはちまんよんせんとう)1基(重要文化財)>
中国 五代時代の考古資料
仁字アリ舎利塔ノ補作アリ
1911年(皇紀2571)明治44年4月17日 重要文化財に指定される