満願寺(まんがんじ)は、左京区 岡崎公園の東にある寺院
菅原道真の乳母であり北野天満宮の創始者 多治比文子(たじひのあやこ)が、
菅原道真を追悼するために創建したのが由来
法勝寺旧跡にあった焼失した本光寺に祀られていた妙見大菩薩像が遷されてきており
「岡崎の妙見さん」と称される洛陽十二支妙見めぐり5番札所
江戸時代中期における日蓮宗の伽藍建築様式が残されている
本堂・鐘楼・手水舎・表門・文子天満宮本殿/拝殿の6棟が、京都市有形文化財に指定されている
<本堂(京都市指定文化財)>
釈迦如来、多宝如来、法華首題牌が安置されている
桁行3間、梁行1間の身舎(もや)となっている
身舎の四周囲に一間幅の裳階が付けられている
背面には内陣部を突き出し、さらに後方に、土蔵造の奥陣を付設されている複合建築となっている
1704年(皇紀2364)宝永元年にかけて建立される
現存する日蓮宗本堂の近世遺構として貴重なもの
<祖師堂>
日蓮聖人像が祀られている
本妙寺の分身とされる
日蓮が、吉田神道(法華神道)を伝授したときに寄宿していたところといわれる
<表門(京都市指定文化財)>
高麗門、本瓦葺
1702年(皇紀2362)元禄15年の建立
<鐘楼(京都市指定文化財)>
切妻造、本瓦葺
1703年(皇紀2363)元禄16年の建立
<手水舎(京都市指定文化財)>
切妻造、桟瓦葺
1702年(皇紀2362)元禄15年の建立
<文子天満宮本殿(京都市指定文化財)>
祭神:菅原道真
創建当時は中京区西ノ京にあり、北野天満宮御旅所であった北野七保社であった
三間社流造、檜皮葺
1702年(皇紀2362)元禄15年の建立
<文子天満宮拝殿(京都市指定文化財)>
入母屋造、銅板葺
1702年(皇紀2362)元禄15年の建立
<弁財天社>
<閼伽井天>
閼伽井の後方にある
祭神:茶吉尼天(だきにてん)
俊寛僧都の守り本尊といわれる
<閼伽井(あかい)>
現存する名水の井戸
かつてこの付近にあった法勝寺で使われていた井戸といわれる
法勝寺執行 俊寛僧都の荒行井戸ともいわれる
<石碑「俊寛僧都故居之碑」>
法勝寺執行 俊寛僧都の住居跡ともいわれる
<石碑「除厄日蓮大菩薩」>
<妙経萬部塔>
日進上人による法華経1万回読誦大願成就の記念碑
<経塔(きょうとう)>
<鐘楼>
<墓地>
幕末の商人 山崎久三郎(米沢兼光)
浄瑠璃三味線8代 野沢喜八郎の墓
<映画監督 溝口健二之碑>
<「大阪物語」の碑>
隣接して立てられている
<俊寛僧都の面>
左甚五郎の作といわれる
<妙見大菩薩像>
北極星・北斗七星を神格化した菩薩
諸星の王として宇宙万物の運気を司どり支配する菩薩といわれる
像高約30cm
亀に乗り、右手に剣、左手に蛇を持ち、鎌首をもたげている
法勝寺旧跡にあった本光寺に祀られていたもので、
安永の大火により本光寺が焼失したため移されてきた
「岡崎の妙見さん」と称される
洛陽十二支妙見めぐり5番(辰の方角(東南東)