地図情報
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、北野にある、全国にある約1万2千社の天満宮・天神社の総本社
「天神さん」「北野さん」とも称される
無実の罪で大宰府に流された、右大臣だった菅原道真の怨霊を鎮めるために建立された神社
祭神の菅原道真は、「和魂漢才」の精神をもって学問に励み、
幼少より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されたことにちなみ、
江戸時代、寺子屋が普及し、精神的拠りどころとして天満宮の御札、掛軸がお祀りされ、
「学問の神様」として天神信仰が確立し「天神さん」と称され、多くの受験者らの信仰を集めている
北野天満宮より分霊が「天神様」として、全国各地の天満宮や天神社へ勧請(かんじょう)された
主祭神
<菅原道真>
幼少の頃から天才といわれ、「和魂漢才」の精神をもって大学者・能書家・詩人・政治家として名声を得た
相殿
<東座 中将殿(ちゅうしょうどの)>
菅原道真の長男
<西座 吉祥女(きっしょうじょ)>
菅原道真の夫人
<農耕の神>
雷を司り、農作物に影響を与える雨を降らす天神さまとして信仰される
秋には、ずいき祭が行われる
<至誠の神>
「海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞてらさむ」が詠まれたように、
清く明き誠の心を生涯貫いたといわれる
大宰府でも、天皇から賜った御衣を毎日着衣していたともいわれる
<冤罪を晴らす神>
4月20日の「明祭」では、冤罪が晴れたことを祝される
<学問・和歌・連歌の神>
菅原道真は、5歳で和歌を詠み11歳で漢詩を作り、幼少の頃から天才といわれ、
「和魂漢才」の精神をもって大学者、能書家、詩人、政治家として名声を得た<ことによる
<渡唐天神>
東福寺の開山 円爾弁円が宋から帰朝し、博多の崇福寺の住職をしていたときに、
菅原道真の神霊が現れ禅を問われた
円爾弁円が、「私が入宋して師と仰いだ仏鑑に参禅するように」と答えると、菅原道真は、後日再び現れ、
「このたび宋に飛び一日にして禅の奥義を修得した」と告げられたという
その時の菅原道真が、唐衣をまとい手に一輪の梅の花を持たれていたため「渡唐天神」と称されるようになる
これにより、室町時代には、禅僧の間で、文学神としての信仰が広まる
<芸能の神>
豊臣秀吉が北野大茶湯を催し、現在でも毎年、献茶祭が行われている
出雲阿国が初めて歌舞伎踊を演じたといわれ、北野天満宮境内で舞楽などの催しが多く行われてきている
江戸時代中期には、
北野天満宮境内で、露の五郎兵衛が、辻ばなしを口演していたといわれ、落語発祥の地ともされる
<厄除の神>
2月25日の梅花祭には、男女の大厄を祓うために、
白梅42本・紅梅33本の小枝を挿し玄米を入れた筒状の紙立(こうだて)がお供えされる
1棟が国宝、その他に7棟が重要文化財に指定されている
<本殿・石の間・拝殿・楽の間 1棟(附 棟札)(国宝)>
本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造
拝殿の左右(東西)に楽の間があり、本殿の西には脇殿がある八棟造の形式
いずれも南向き
総面積約500坪の雄大な桧皮葺屋根は、絢爛豪華な桃山文化の代表的な遺構
古来、神社祭祀は庭上で行われており、祭典を行う社殿は、神社建築史上画期的なものだったといわれる
本殿に向かって一番右端、奥の蛙股に、豊臣秀吉が武運長久を願って3つのかぼちゃが彫り込まれている
本殿:桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、右側面三間庇付、檜皮葺
石の間:桁行三間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺
拝殿:桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝七間、軒唐破風付、檜皮葺
楽の間:東西各:桁行正面二間、背面三間、梁間二間、一重、一端入母屋造、檜皮葺
1607年(皇紀2267)慶長12年
豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもの
1897年(皇紀2557)明治30年12月28日 重要文化財に指定される
1959年(皇紀2619)昭和34年6月27日
「本殿、石の間、拝殿及び楽の間」1棟が国宝に指定される
本殿の前には、飛梅が育成されている
霊元天皇御寄進石燈籠 1対
本殿の前に置かれている
1682年(皇紀2342)天和2年7月25日
大嘗祭を再興された霊元天皇が、多くの宝物とともに奉納された石燈籠
有栖川宮御寄進石燈籠 1対
本殿の前に置かれている
1823年(皇紀2483)文政6年11月25日
有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみや つなひとしんのう)の寄進による石燈籠
<透塀(すきべい)(右・左)2棟(重要文化財)>
本殿を囲む木製の塀
欄間に当たる部分に彫刻が施されている、全部で32面
鯉・亀・犀・鴛鴦などの水鳥、鸞・孔雀・錦鶏・山鳥などの鳥、 鹿・兎、椿・瓜・牡丹・楓など
左側:折曲り延長十四間、檜皮葺、潜門一所を含む
右側:折曲り延長十六間、檜皮葺
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
1898年(皇紀2558)明治31年12月28日 廻廊の2棟が重要文化財に指定される
<後門(こうもん)1棟(重要文化財)>
本殿の後にある門
本殿と背中合わせに末社 御后三柱を北向きに祀っているため
一間一戸平唐門、檜皮葺
影向松に飛来したとされる仏舎利が祀られていた舎利塔があり「舎利門」と称されていた
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
1869年(皇紀2529)明治2年11月
明治政府の神仏分離の悪政により、舎利塔が撤去され、御后三柱が祀られる
1898年(皇紀2558)明治31年12月28日 重要文化財に指定される
<中門(ちゅうもん)1棟(重要文化財)>
太陽、月、星の彫刻があり「三光門(さんこうもん)」と称される
廻廊で取り囲まれてる神域への入口
扁額「天満宮」は、後西天皇の宸筆
四脚門、入母屋造、前後千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
1898年(皇紀2558)明治31年12月28日 重要文化財に指定される
<廻廊(かいろう)(右・左)2棟(重要文化財)>
左右とも:
桁行折曲り延長十六間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺、潜門一所を含む
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
1898年(皇紀2558)明治31年12月28日 廻廊の2棟が重要文化財に指定される
<東門(ひがしもん)1棟(重要文化財)>
切妻造、銅板葺の四脚門
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
1904年(皇紀2564)明治37年2月18日 重要文化財に指定される
<一ノ鳥居>
表参道の入口に今出川通に面して立つ大鳥居
<二ノ鳥居>
<三ノ鳥居>
<太閤井戸>
表参道の左手(西側)、楼門の手前にある
豊臣秀吉が催した「北野大茶会」ゆかりの井戸
<楼門>
三ノ鳥居の先にある
楼門の正面は、本殿とは筋違いとなっており、
北野天満宮が創建させる以前から祀られていた摂社 地主神社の正面にある
二階建て(重層)の桃山様式
1階の両側に、弓矢を持ち太刀を帯びた随神像(ずいしん)が置かれている
扁額「文道大祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」がかかげられている
平安時代中期の貴族・文人・儒学者 慶滋保胤と、貴族・歌人・儒者である大江匡衡(おおえのまさひら)が、
祭神 菅原道真を讃えた言葉
「文道大祖」は学問・文学の祖、「風月本主」は漢詩・和歌に長じた人という意味
<手水舎>
楼門をくぐったところにある
「梅香水」とも称される
「北野の花手水」とも称され、季節の花が生けられ飾られている
<日月光の大燈籠>
手水舎の横に立っている
<校倉(あぜくら)(宝蔵)>
手水舎の奥にある
断面が三角形や台形の木材を井桁(いげた)に組んで積み上げた倉庫
1607年(皇紀2267)慶長12年
豊臣秀吉による建立
<絵馬所>
楼門をくぐって、左手(西側)にある
算額などの多数の絵馬が奉納されている
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
<納札所>
境内の南西、絵馬所の奥にある
古札をお納めするお社
<宝物殿>
楼門をくぐって、右手(東側)にある
国宝など、皇室・公家や武家より奉納された数万点の宝物を収蔵・公開されている
毎月25日と、その他期間限定で開館している
1928年(皇紀2588)昭和3年
千二十五年半萬燈祭のときに創建され、本殿の内部に収められていた神宝が移された
格天井に、当時の最先端のシャンデリアを供えた和洋折衷様式の建物
指物師により作られた展示ケースも価値あるもの
<神楽殿>
狂言や日本舞踊、毎月25日には神楽舞が奉納される
1607年(皇紀2267)慶長12年の建立
<北門>
境内一番奥(北)の門
門前には西陣名技碑がある
<絵馬掛所>
本殿の奥(北)の西側、牛社の奥にある
多くの願い事が書かれた絵馬が奉納されている
<明月舎>
北門から入って左手、境内の東北にある
豊臣秀吉が催した北野大茶場を記念して毎月1日と15日に献茶会が催される
<茶室 松向軒>
北野大茶会のとき、細川三斎が茶の水を汲んだといわれている井戸「三斎井戸」がある
<月下氷人石(げっかひょうじんせき)>
松向軒の庭に立つ
案内板的に利用されたもので、
正面に「奇縁冰人石」、右には「たつぬる方」、左に「ゆしふる方」と彫られている
京都市内に現存する3石中(誓願寺と八坂神社、北野天満宮)の一つ
<梅苑「花の庭」>
2月上旬〜3月中旬、京都随一の梅の名所
面積約5000坪、約50種類の色もさまざまな2,000本以上の梅が見られる梅林
12月末頃からは、「冬至梅」「寒紅梅」「照水梅」など開花時期の最も早い梅が、咲き始め
紅梅、白梅、一重、八重等の順に咲き始める
2月上旬には、梅苑が一般公開される
1966年(皇紀2626)昭和41年の開設
祭神の菅原道真が、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と、
ことのほか梅を愛したことから、梅苑が設けたといわれる
2022年(皇紀2682)令和4年1月
江戸時代に子院 成就院にあった「花の庭」にちなんで再興され、「花の庭」と称するようになる
<御土居(国の史跡)>
境内の西側にある
1591年(皇紀2251)天正19年
豊臣秀吉により、京都の周囲の全長5里26町(約23km)に建造された
「京廻ノ堤(きょうまわりのつつみ)」と称される土塁
土塁の高さは、約3.6mから5.4mあり、奥行きは約18mから20数mもあり、
軍事的な城壁と、東側では鴨川の氾濫から守る役割があったといわれる
<史跡御土居のもみじ苑>
境内の西側にある
約350本のもみじがある紅葉の名所となっている
初夏には、青モミジが公開されている
<手向山楓樹(たむけやまかえじゅ)>
境内の西側、御神用水井戸のそばにある
葉のこまかい楓
幹周80cmほど、高さ6mほど
898年(皇紀1558)昌泰元年
菅原道真が、宇多天皇大和の国巡幸にお伴されて、手向山八幡宮に参拝したときの歌
このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず手向山 紅葉のにしき 神のまにまに(小倉百人一首第24番)
1716年(皇紀2376)正徳6年2月
手向山八幡宮から苗木が奉納された
石碑には「正徳六歳次丙申春二月 和州手向山楓樹」と記されている
<紅梅殿>
三光門の前を左側(西側)、御土居の碑の南にある
ご祈祷や神前結婚式、曲水の宴などが行われる
名前は、菅原道真が住んでいた邸宅「紅梅殿」にちなむ
<船出の庭>
紅梅殿の前の庭園
2015年(皇紀2675)平成27年
「千百二十五年 半萬灯祭(2027年(皇紀2687)令和9年斎行)」 に向けた境内整備の一環として作庭された
菅原道真の邸宅「紅梅殿」にあった庭園を「北野天神縁起絵巻」等を参考に再興された
曲水の宴なども行われる
<龍神桜>
船出の庭に育成されている枝垂桜
奈良県東部の吉野郡東吉野村の千本のしだれ桜がある高見の郷(たかみのさと)から奉納されたもの
2022年(皇紀2682)令和4年11月19日
龍雲(龍の形をした雲)が、高見の郷に降臨
千本のしだれ桜が「龍神桜」と命名された
<筆塚(ふでづか)>
三ノ鳥居の先にある塚
商人 小野英棟が、菅原道真を手習いの神として信仰し、
各地の天満宮に使い古した筆を埋めて供養する筆塚を建てた
建立年: 1834年(皇紀2494)天保5年8月
建立者:小野英棟
大きさ:高さ124cm × 幅105cm
碑文:
(東側)筆塚 小野英棟建
(西側)小野英棟以商為業性慎密慈仁深帰仏乗嘗放生命三十万数書写法華経六十六部納之
於六十六国霊地又納一石一字於洛東某寺中其他写三部経二十部及施陰隲文数千部
其退筆歴年不敢散逸畜積如山今建筆塚於北野菅公廟傍請余記其由夫写経放生之功
徳其無限量如仏所説復何贅焉如英棟可謂火中蓮矣其家業栄昌子孫孝謹可不言而知
也余感其忠行之懇篤為之記云天保甲午八月下浣露電散人撰書
残しおくかひやはあらむ
筆の跡 梅探坊
<石碑「日詣卅五年 神恩如海山(ひもうでさんじゅうごねん しんおんにょかいざん」>
三ノ鳥居の先、筆塚の横にある
上部は、「日・月・星」の三光を象徴しているといわれ、
太陽を表す円形、月を表す三日月形、星を表す三つの小さな穴が彫り込まれています
35年間にわたり毎日、参拝し続けたことを示し、海や山のような広大な恩恵への感謝を表している
<石碑「北野大茶湯之址(きたのおおちゃのゆのあと)」>
豊臣秀吉によって、北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)が催された会場跡を示す石碑
建立年:1979年(皇紀2639)昭和54年11月
建立者:京都市茶業組合
大きさ:高さ216cm × 幅95cm × 奥行38cm
碑文:
(西側)北野大茶湯之址 北野天満宮宮司片桐勤謹書
(東側)昭和五十四年十一月 創立百周年記念之建 京都市茶業組合
<露の五郎兵衛碑>
北野大茶湯之址に立つ
露の五郎兵衛の顕彰碑
鳥居などの挿絵と「人艸(草)や 来た野(北野)の露乃 五郎兵衛」と記されている
1999年(皇紀2659)平成11年3月
上方落語協会会長 二代目 露の五郎が、自身の落語家生活50周年を記念して建立する
<右近馬場(うこんのばば)>
平安時代
右近衛府に属した平安京一条西洞院にあった右近馬場と、北野天満宮の境内の右近馬場と2つあった
境内にあった右近馬場は、万葉集にも詠まれた遊猟の地だった
桜狩なども行われ、ホトトギスの名所だった
807年(皇紀1467)大同2年
馬場が開かれ、競馬が行われた
839年(皇紀1499)承和6年
仁明天皇が、競馬を観戦しに行幸された
菅原道真も好み、官位 右近衛大将にちなみ「右近衛府の馬場」「右近馬場」と称された
986年(皇紀1646)寛和2年
馬場が、東西軸から南北軸に改装される
1004年(皇紀1664)寛弘元年
白河法皇が、馬場に雪見に行幸された
南北朝時代、馬場が廃される
その後は、北野社頭で連歌や田楽が催される
<境内末社 伴氏社>
<末社 宗像社(むなかたしゃ)>
<大杉社>
<御后三柱(ごこうのみはしら)>
<摂社 福部社(ふくべしゃ)>
<摂社 白太夫社(しらだゆうしゃ)>
<摂社 老松社(おいまつしゃ)>
<摂社 火之御子社(ひのみこしゃ)>
<摂社 地主神社(じぬしじんじゃ)>
<末社 猿田彦社(さるたひこしゃ)>
<末社 稲荷神社>
<末社 一之保神社(いちのほじんじゃ)>
<末社 奇御魂神社(くしみたまじんじゃ)>
<末社 野見宿祢神社(のみのすくねじんじゃ)>
<末社 豊国神社(とよくにじんじゃ)>
<末社 一夜松社(いちやまつしゃ)>
<末社 文子社(あやこしゃ)>
<末社 神明社(しんめいしゃ)>
<末社 竈社(かまどしゃ)>
<境内外末社 神輿岡神社(みこしがおかじんじゃ)>
<紙本着色 北野天神縁起(絵巻)8巻(国宝)>
菅原道真の生涯と、菅原道真死後のさまざまな災いが菅原道真の怨霊と信じられて、
天神信仰が生まれるまでの様子が描かれている
類本の多い天神縁起の中でも、ひときわ優れたものとして著名
1219年(皇紀1879)承久元年の作
1954年(皇紀2614)昭和29年3月20日 国宝に指定される
国宝附指定:紙本墨画同縁起下絵 一巻
国宝附指定:梅樹蒔絵箱 一合 性光調進応永三十三年(1426年(皇紀2086)応永33年)の銘がある
<紙本墨画 雲龍図 六曲屏一双(重要文化財)>
桃山時代の海北友松の雲龍図屏風の代表的作品
縦149.4cm×横337.6cm
1921年(皇紀2581)大正10年8月8日 重要文化財に指定される
<紙本墨書 北野西京神人文書(にしのきょうじにんもんじょ) 99通(重要文化財)>
9巻、33幅、2通
西京神人の麹座に与えられた麹の製造・販売の特権にかかわる文書のまとまり
室町幕府などとの関係や、酒屋の市中における商業・経済活動など、具体的に知ることができる数少ない史料群
南北朝時代から江戸時代のもの
2014年(皇紀2674)平成26年8月21日 重要文化財に指定される
<絹本着色 舞楽図(ぶがくず)2幀(重要文化財)>
鎌倉時代の作
1897年(皇紀2557)明治30年12月28日 重要文化財に指定される
<紫紙金字 金光明最勝王経巻(こんこうみょうさいしょうおうきょうまき)第一 1巻(重要文化財)>
永仁二年十一月十五日書写の奥書がある
1294年(皇紀1954)永仁2年
後宇多天皇の宸翰
1916年(皇紀2576)大正5年5月24日 重要文化財に指定される
附指定:宝永七年古筆了音及門弟寄進状 一通
<紙本著色 北野天神縁起(弘安本)3巻(重要文化財)>
1278年(皇紀1938)弘安元年の作
1901年(皇紀2561)明治34年3月27日 重要文化財に指定される
<紙本着色 北野天神縁起 3巻(重要文化財)>
1748年(皇紀2408)寛延元年
土佐光起の筆
1960年(皇紀2620)昭和35年4月17日 重要文化財に指定される
<本著色 北野天神縁起 3巻(重要文化財)>
1503年(皇紀2163)文亀3年
土佐光信の筆といわれる
1902年(皇紀2562)明治35年4月17日 重要文化財に指定される
<板絵金地着色 昌俊弁慶相騎図 1面(重要文化財)>
大きな絵馬
源義経の命を狙った土佐坊昌俊を、武蔵坊弁慶が捕らえて堀川の屋敷へ引っ立てていく場面を描く
桃山時代
長谷川等伯が70歳のときの作
上側の3分の2は8枚、下側の3分の1は9枚の板を左右に並べて作られている
4か所に墨書が残されている
1986年(皇紀2646)昭和61年6月6日 重要文化財に指定される
<板絵金地著色 曳馬図 絵馬1面(京都市指定登録文化財)>
1750年(皇紀2410)寛延3年、渡辺始興の筆
<北野曼荼羅図>
<豊太閤北野大茶湯図>
<木造 鬼神像(きしんぞう)13躯(重要文化財)>
忿怒の相の上半身は裸形の鬼神像群
両手を腹前で組んで棒状の持物を持つもの2体
左手を腰に当てて右手で持物を持つもの3体
その他の手の構え1体
平安時代の作
2006年(皇紀2666)平成18年6月9日 重要文化財に指定される
<刀 1口(重要文化財)>
北野天満天神豊臣秀頼公御造営之時于時の銘がある
慶長十二丁未十一月日信濃守国広造の銘が記されている
1607年(皇紀2267)慶長12年 信濃守国広の作
豊臣秀頼の寄進
1950年(皇紀2610)昭和25年8月29日 重要文化財に指定される
<太刀(銘助守)(すけもり)1口(重要文化財)>
身長70.2cm、反2.0cm
鎬造、二ッ棟、鍛板目、刃文小乱れ、小丁子交じり、足入り
平安時代の助守の作
1950年(皇紀2610)昭和25年8月29日 重要文化財に指定される
附指定:糸巻太刀拵
<太刀(銘恒次)(つねつぐ)1口(重要文化財)>
鎌倉時代の作
1950年(皇紀2610)昭和25年8月29日 重要文化財に指定される
附指定:糸巻太刀拵
<太刀(銘備州長船師光)(びしゅうおさふねもろみつ)1口(重要文化財)>
銘備州長船師光応永九年の銘がある
1402年(皇紀2062)応永9年
備州 長船師光の作
1950年(皇紀2610)昭和25年8月29日 重要文化財に指定される
附指定:糸巻太刀拵
<太刀(銘安綱(鬼切))(やすつな(おにきり))1口(重要文化財)>
平安時代の安綱の作
1950年(皇紀2610)昭和25年8月29日 重要文化財に指定される
<日本書紀写本28冊(重要文化財)>
平安時代から室町時代に写本されたもの
1914年(皇紀2574)大正3年4月17日 重要文化財に指定される
<北野天満宮聖廟法楽和歌(せいびょうほうらくわか)(重要文化財)>
3巻630枚
江戸時代のもの
2024年(皇紀2684)令和6年 重要文化財に指定される
<北野大茶湯高札>
毎月25日に縁日が開かれる
<初天神> 1月25日
<梅花祭> 2月25日
<曲水の宴> 3月上旬と11月上旬
<祈願絵馬焼納式> 4月19日
<明祭> 4月20日
<雷除大祭> 6月1日、摂社 火之御子社
<御誕辰祭(夏越天神)(夏越祓)> 6月25日
<御手洗祭、七夕祭> 7月7日
<例大祭> 8月4日
<ずいき祭> 10日1日〜5日
<名月祭(芋名月)> 中秋の日
<余香祭> 10月29日
<お茶壷奉献祭> 11月26日
<献茶祭(けんちゃさい)> 12月1日
<終い天神> 12月25日
<大祓式> 12月31日
<火之御子社鑚火祭> 12月31日
<おけら参り> 12月31日
<影向松(ようごうのまつ)>
<筋違いの本殿>
<星欠けの三光門>
<大黒天の燈籠>
<唯一の立牛>
<裏の社>
<天狗山>
北野天満宮の神紋は、梅
菅原道真は、白梅をこよなく愛し、大宰府に左遷されるときに、
「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
と、庭の梅に詠んだといわれる
<飛梅伝説>
大宰府に左遷された菅原道真を慕って、菅原道真の御殿の梅が一夜にして大宰府まで飛んでいったといわれる故事
<梅林>
面積約5,000坪の梅苑「花の庭」がある
境内を含めて、約50種類、2,000本以上の梅が見られる梅林となっている
<大福梅>
新年の招福息災の祈りを込める祝膳に欠かせない縁起物
元旦の初茶に入れて飲めば、1年間を無病息災で過ごせるといわれる
村上天皇が病気退散の故事に由来する
12月13日の事始めから、12月25日の天神さんの頃まで授与される
<神使>
北野天満宮において、牛は神使(祭神の使者)とされ、多くの牛の像が置かれている
菅原道真の生まれが丑年であり、亡くなられたのも丑の月の丑の日とされる
大宰府へ左遷されるとき、牛車で下っていったといわれ、
途中、多くの刺客から菅原道真を守ったともいわれる
菅原道真が亡くなり、遺骸を運んでいた途中、
安楽寺(現在の太宰府天満宮の地)の門前で牛が座り込んで動かなくなったため、
やむなくその安楽寺に埋葬されたといわれる
<なで牛>
境内に多くの牛の像が置かれている
牛の像の頭をなでると頭がよくなるといわれ、特に受験生に信仰されている
自分の体の悪い部分と、牛のその同じ部分とを交互になでると良くなるともいわれている
<長五郎餅>
漉し餡(こしあん)を薄い餅皮で包んだ京菓子
北野天満宮門前の長五郎本舗で売られる
<粟餅>
北野天満宮の門前茶屋の名物菓子
<俗諺>
「弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や」
東寺の弘法さんの市が毎月21日に行われ、北野天満宮の天神市が毎月25日に行われる
その五日間の間に、天候のサイクルにより晴雨が変わることをいい表す
<菅原道真の祟り>
菅原道真が、藤原時平の策略で無実の罪で大宰府に流され、無念のまま死去してから、
京では天変地異が続き「菅原道真の祟り」と噂されるようになった
<落語の発祥の地>
江戸時代中期
貞享・元禄年間(1684年〜1704年)
北野天満宮境内で、露の五郎兵衛が、辻ばなしを口演していたといわれる
境内には顕彰碑が立てられている
<北野上七軒>
東門の門前に形成された花街
上京北野界わい景観整備地区に指定されている
<御前通>
平安京の西大宮大路にあたり、大内裏の西側にあった道幅24mの大きな通り
北野天満宮に通じていることから「御前通」と称されるようになった
以前は、治安を守る役人の居住地域であったことから「左近馬場通」「北野馬場通」とも称されていた
<神仏分離>
1869年(皇紀2529)明治2年
神仏習合の都の文化を理解できない明治新政府が強制的に行った悪政
名称が「北野神社」と改称された(現在は戻されている)
境内にあった、天台宗の社僧が奉仕していた松梅院、徳勝院、妙蔵院など40以上の寺院が破棄された
本殿内陣には十一面観音菩薩が祀られており、社僧により読経が行われていた
本殿には、菅原道真が天台座主から譲り受けたものといわれる「菅公御襟懸守護の仏舎利」が
安置されていたが、強制撤去となり、常照皇寺の住職 櫓山が、交渉を続け譲渡を受けた
拝殿の正面に吊るされていた大鰐口が破却される
大日如来が祀られていた多宝塔が破棄される
大日如来像と須弥壇は、浄土宗の親縁寺に引き渡され、
現在の須弥壇には、本尊 阿弥陀如来が祀られている
豊臣秀頼が寄進したものともいわれる鐘楼もあったが、大雲院に移設された
本殿の裏、現在の末社 御后三柱が祀られているところには、
影向松に飛来したとされる仏舎利を祀る舎利塔があったが、舎利塔が常照皇寺に移されてしまう
伴氏社には、菅原道真の母親の五輪塔が立てられていたが、東向観音寺に移されてしまった
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