 
 良正院(りょうしょういん)は、知恩院の塔頭
 徳川家康の娘 とく姫「良正院」の追善のために創建される
 境内には、京都市内では初めての認可施設である社会福祉法人 大照学園授産部(通所授産施設)が開設されている
 <本堂(ほんどう)1棟(重要文化財)>
 方丈型本堂で、塔頭本堂の数少い遺構とされている
 東側から竹の間、奥(北側)に四季草花の間床付、中央に松の間、奥に仏間(杉の間)、西に鉄線蓮の間、山水の間床棚付がある
 中央の間正面は3間
 南に鶯張りの廊下(広縁)がある
 狩野三益(かのうさんえき)(狩野山楽の子 狩野伊織といわれる)により描かれたという襖絵がある
 桁行21.4m、梁間15.5m、一重、入母屋造、本瓦葺
 南面玄関::行二間、梁間一間、正面唐破風造、背面本堂に接続、桟瓦葺
 1631年(皇紀2291)寛永8年の建立
 二条城より移築したともいわれる
 「竹の間」において、勤王の志士 奥田萬次郎が自刃した
 1986年(皇紀2646)昭和61年5月24日 重要文化財に指定される
 <方丈前庭園>
 枯山水庭園
 <表門(おもてもん)1棟(重要文化財)>
 薬医門、一間一戸、桁行34m、梁間5.1m、本瓦葺、脇門付
 1631年(皇紀2291)寛永8年頃の建立
 1986年(皇紀2646)昭和61年5月24日 重要文化財に指定される
 <歌碑「戦友」>
 門前右脇に立つ
 鞍馬石、高さ2.7m、幅0.9m
 戦前戦後に広く歌われた「戦友」の冒頭部分「こゝはお国を何百里」が刻まれている
 作詞者 真下飛泉が、晩年、近くに暮らしたことを偲ぶもの
 1927年(皇紀2587)昭和2年
 真下飛泉が亡くなった年、京都府師範学校付属小の教え子1824人により建てられた
 文字の揮毫は「肉弾」などの著者、軍人・作家の桜井忠温によるもの
 <南面玄関>
 2間1間、正面唐破風造、桟瓦葺
 背面が本堂に接続している
 <鎮守堂(京都指定文化財)>
 <本堂 障壁画>
 東側の竹の間:金地著色「竹林図」
 奥(北側)の四季草花の間:紙本著色「四季花鳥図」
 中央の松の間:金地著色「松図」
 奥の仏間(杉の間):金地著色「鉾杉図」
 西側の鉄線蓮の間:金地著色「鉄線朝顔図」
 西側の山水の間:紙本水墨図「山水図」
 1622年(皇紀2282)元和8年
 狩野三益(かのうさんえき)(狩野山楽の子 狩野伊織といわれる)により描かれたといわれる
 <杉戸絵>
 表の「虎図」、その裏面に「水鳥図」がある
 <池田忠雄画像1幅>
 <良正院文書>